私が生まれた日は特別な日。

そして私の命が消える日がいつかくる。

それぞれの日の間が私の人生。

私が生まれた日がどんな日だったか、教えてくれる親はもういない。


私自身が子供を生んだのは病院。

初産は長くて、痛くて痛くて、まだ痛くなるのかと不安なのに、ナースコールをしてもなかなか人が来ない。孤独な時間があった。

どんなときも仕事を休まない夫は、仕事が終わってからやっときて、立ち合いは拒んだ。

夫が絶対に休まないから計画分娩にしようかと悩んだ2回目の出産は、赤子のほうが気を遣って、予定日を過ぎた日曜日(夫は休み)に生まれてきてくれた。


そんな特別な1日が、私が生まれた日にもあったのだろうか。私の人生の初日だけど私は覚えていないその日。


なぜそんなことを考えているのかというと

人生の終わりに近づいていることを考えるから。誰しも生まれた瞬間から、人生の終わりに向かってはいるけれども、歳を取ったからかな。


そして、人生で最も多くの時間見ている景色はスマホの画面かもしれないことが急に怖くなったんです。

便利になって何でも素早く調べられる。

この文章だってスマホから書いている。

でも人生で見たものがほとんど「画面」じゃ嫌だ!って。


私は旅が好き。

子供が生まれてからは自由旅行とはいかないけれど、まだ見たことのない美しい景色を、死ぬまでたくさん見たい。

子を生んだ日も、それまでに見たことのない景色でした。子供と一緒にいることで見られた景色もありました。

子供達の成長も、まだ見ぬ新しい景色ですね。結局のところ、人生自体が旅ってことですかね?