中学校になる頃には立場が逆転していた


高学年では五分五分だった力関係が全く及ばなくなったのである

 
それでも最初は痛い中でも頑張って殴り返していたが、弟が中学校に上がる頃には殴り返す余裕もないというか、どう頑張っても自分が殴れるとこまでいかなかった

完全に一方的に力で負けていたのである

そうなると、今度は恐怖が私の心を閉めるようになる

弟がいると、身を潜め、帰ってきたら、ソッコー自分の部屋に逃げた

『ご飯ぞー』

下から父にそう呼ばれる


弟が先に部屋を出ると安心した


弟が部屋を先に出ないときは、アイツは私を殴りたい日

必ず私が部屋から出るとすぐに出てきて殴りかかり、髪の毛引きちぎり、けつり、私をぼこぼこにした


私は怖くて痛くてたまらなかった


部屋から出る時は常に鉄パイプ。


風呂に入りに行くときもご飯を食べに降りようとする時も、家の中で常に鉄パイプを持ち歩いた


結局、鉄パイプ振り下ろす間もなく、一方的にやられるし、鉄パイプが役に立ったか記憶にないが、掃除機で殴られて悶絶した記憶だけは残っている


子ども部屋から出た階段前の踊り場には、私の引きちぎられた髪の毛がごっそり抜けていた


ご飯よ‼️と声がかかり、殴られている間、ものすごいドタドタした音が聞こえるし、殴られてぼろぼろになった私が下に降りていっても、両親は

『また喧嘩したんか』


それだけだった

その無関心さに、私は、両親に

『怖いよ!助けて🆘❗』

とは、絶対に言えなかった。


自分の気持ちを両親に漏らすことは絶対になかったし、何故か強がり、鉄パイプも両親には見せず、殴られて腫れていてもすました顔をしていた


本当は怖くて、怖くて、震えていたのに


安心出来る家が一番怖い場所だった


そうして、私は短大に、弟は東京の大学、就職し、別々の道へ


清々していた


2度と交わるつもりはないし、
2度と会いたくない


そんな弟だったが、彼も彼なりに苦しかったんだよね


弟が25歳の頃、飛び降り自殺を計った


警察から引き取り依頼され実家に帰ってきた弟


両親は騒いだが、私は無関心だった


どうでも良かった。


そんな弟が私に会いたいと言った