私が9歳の頃に父方の祖父母の方に家を建て、引っ越した

母方の祖父母の方から車で約1時間

とても自分で祖母に会いに行ける距離じゃなかった

新しい家にワクワクする年代だが、新築に自分の部屋を持てたことより、唯一の味方の祖母が家にいない寂しさの方を強く感じた


味方が家にいない



イコール家は安らぎの場ではなかった


私には母親から押し付けられたルールがたくさんあった


大嫌いな牛乳を毎日飲むこと

栄養と称した物は何でも残さず食べること

テレビは一週間に一回30分まで

最後にお風呂に入った人は風呂掃除

自分の洗濯物は自分でまわし、干し、たたむこと←小6から突然、私のだけしてくれなくなった

友達は家にいれないこと

勝手に家の中のものを食べないこと


おこずかいは300円


小学校高学年で友達が誕生日プレゼントをくれたので、私もお返しがしたいから、千円欲しいと頼むと『良いものがあるよ』とニコニコ


母親のニコニコ顔は幼い心ながらとても嬉しかった

そんな母親がお返しに用意したもの


それは全てに『新◯証券』と書いた粗品だった

自分が貯金しまくり貰った粗品の敷物やコップやレターセットやシールをニコニコしながら持ってきた


当時、私は何も与えて貰えなかったので、粗品などと露知らず、そのキャラクターのパンダ🐼がとても愛らしく見えとても喜んで友達に渡した


友達もめちゃくちゃ喜ぶだろうなと思ったら、次の日に何か白い目で見られた

今なら、その意味が分かるし、穴があったら入りたいぐらい恥ずかしい


どうせでも少食の私なのに
忙しく働く両親は水炊きや、父の職場で買ってくる魚料理をとてもよくした

水炊きもポン酢が大嫌いだったが、結婚して家を出るまで聞いてもらえず、
栄養と称した生牡蠣は無理やり食べさされ、今でも克服することが出来ない


魚もこの一年位で、ようやく本来の魚の美味しさを感じ始めることができ、好んで食べ、我が家の食卓にあがるようになった

続く