こんばんは。
あっという間に1月は終わり。
2月は逃げる、3月は去る……
令和の2月は祭日多すぎでしょ
事務職の私は一か月の中の仕事量は同じなので、営業日が少ないと忙しくてイヤダ。
もともと28日しか無いのに。(今年は閏年なのでマシ?)
いよいよ冬クールのドラマも出揃いました
だけど最近はドラマの数が多すぎるので流石に全部は見られず
YouTubeの解説チャンネルなどを参考にして評判の良さそうなものをいくつか観ています。
今はTVerなどで後から視聴出来るので、リアルタイムを逃して録画しそこねたらもう観るのを諦めていた頃と比べたら、
私自身は過去よりも相当多い本数を観ていると思う。
仕事はしているけれど、あとはドラマ見てご飯食べてたまに練習する、だけで毎日あっという間に過ぎていきます。
最近は漫画原作のドラマが多くて
漫画が面白ければきっとドラマ化しても面白かろうと、観るきっかけ、動機付けには大きな影響があるのは間違いないです。
でも、秋クールでドラマ化され人気もあったドラマの原作漫画家さんの不幸を聞いて……
自分の子供、あるいは自分そのものの様な作品が、他の人の手によって違うものに変えられて世の中に放たれてしまったことの苦痛がどれほど大きかったのかと。
自分の作品のドラマ化を手放しで喜ぶひとばかりではないのだと、はっとした思いでした。
ただ、ドラマ制作側の方たちにしても決して原作者をないがしろにした訳ではなく
次元の違うものに映し変えるためには必要であった事もあるのでしょう。
私にはわからない世界です。
冬クールのドラマでは
『大奥』
『君が心をくれたから』
『春になったら』
『不適切にもほどがある!』
『となりのナースエイド』
『グレイトギフト』
『新空港占拠』
『さよならマエストロ』
あたりを視聴中。普通ですね~
(離脱しそうなものもありますが)
あと、『光る君へ』は別格。
『大奥 』 と、『不適切にもほどがある!』は面白いのですが
『大奥』 のいじめの数々は、辛い……
単に善者悪者の戦いではなく、いじめる側にもそれぞれの事情があり、みなそれぞれ前を向いて状況を打破しようとしているのだと、わかるのですが……
これを乗り越えたあとに、そうかと納得できる展開が待っていることを期待して観ています。
『不適切にもほどがある!』の中の昭和なやり取りは、私には単に面白がることのできないものが多くて、1話目ちょっと辛かった。
私も昭和を生きて来ましたが、
昭和の私はいじめられる側の人間でした。
今から思えば自分が弱かったのでしょうけれども
仲間はずれにされたり、容姿について言われたり(チビとか、〇〇とか△△とか小さいとか太いとか)したことにひとつひとつ傷付いて、言い返すこともできず
とどめを刺されたのは中学校の教師の言葉で。
そう、ちょうど、『不適切にもほどがある!』の小川市郎先生のように、先生は悪気がなくからかっただけだったのかもしれませんが
私には、心が崩れ落ちるトリガーでした。
その後、10年近く私の人生は迷走し、大学にも行かずいつも死にたい気分で過ごしていた。
だから、、『不適切にもほどがある!』の昭和のやり取りには懐かしさ以外に複雑な感情も湧いてきます。
でも、今の私は前ほど辛く思わないよ
自分の人生も今更悔やまないし、やり直そうとも思わない。昔のことはどうにもならない。
ドラマのように過去に戻る穴も現実には見つけられないと思うし。
『不適切にもほどがある!』の2話目は、面白いと思って観ましたよ。
年をとったんでしょう。鈍感にもなった。
毎日、ただ生きているだけで有り難いと思える。
何かを成し遂げなければ生きている資格がないなんて事はない(きっと私は何も成し遂げられない)
少なくともこの先は死にたいと思って毎日を過ごすことはしない。
ひとを見て焦る事なく
自分とよく相談して毎日を過ごして行きます。