澁澤龍彦氏で触れたように、同じ時に掘り出し物のように見つけた一冊下差し

 

三島氏のスポーツ論集であり、自身のスポーツ入門から、1964年の東京オリンピック観戦記、自身の肉体論や自衛隊への体験入隊、そして「太陽と鉄」との4章から成る。

氏の表現の美しさ、的確さ、スポーツマンに対する敬意と愛情深さ、、、に唯々、感動する。

1964年の東京オリンピック観戦記など、一人一人の選手を見る目、メダルの有無ではなく一人の人間のスポーツ人生の尊さ、、、それらを伝えてくる言葉の豊穣さ、息遣い、観察力は天才としか言いようがない。

ひとつひとつの競技の短い観戦記に、あざやかなドラマが目の前に広がる。

 

さらに、氏がボディビルを始めたのが1950年とあり、拙ブログ「假面の告白復刻版」を探してみれば、假面の告白の初版は1949年であることにたじろぐ超凡人mocl。

病的なほどに肉体から遠ざかろうとしているかに思えた "死への希求" を世に表した翌年なのだ。

三島流に言えば右下矢印右下矢印

世の常の人にとっては、肉体が先に訪れ、それから言葉が訪れるのであろうに、私にとっては、まず言葉が訪れて、ずっとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしているところの肉体が訪れたが、その肉体は云うまでもなく、すでに言葉に蝕まれていた。

まず白木の柱があり、それから白蟻が来てこれを蝕む。しかるに私の場合は、まず白蟻がおり、やがて半ば蝕まれた白木の柱が徐々に姿を現したのである。

 

究極に自らの肉体を鍛えだし、己に向き合う姿は、4章の「太陽と鉄」に顕されるのだが、この「太陽と鉄」は1965年〜1968年と云うから、東京オリンピックの翌年からの執筆になるのだ。

1969年に忘れもしない「東大全共闘との対話」があり、1970年11月が氏の最期になる。享年45歳である。

 

猶予のない刻まれた時系列を思うと、ひとりの天才の純粋な人生が迫ってくる。

 

 

鉛筆

蛇足も蛇足だが、、、

ラグビー好きで、体調のイマイチな時にはラグビーから大いにエナジーをもらっているmoclとしては、一度でいいから三島氏のラグビー観戦記を読みたかったと思うのだ。

そして、お叱り覚悟で言わせていただければ、、、ずっと45歳の肉体派のミシマはカッコ良すぎるのだビックリマークビックリマーク