中村吉右衛門が長谷川平蔵を演じた「鬼平犯科帳」は鬼平ブームを引き起こした。それは盗賊から「鬼」と恐れられた「火付盗賊改方」の頭(かしら)である長谷川平蔵がドラマでは人間味あふれる筋立てとなっていたから多くの視聴者が共感したのだろう。
なにせ鬼平こと長谷川平蔵はその人間性の深さゆえ、部下からも慕われるだけでなく盗賊までも手なづけて逆に「火付盗賊改方」の「密偵」にまでさせてしまうのだ。
長谷川平蔵は実在の人物だが、こんな架空のドラマについ見入ってしまい「こんな上司がいたらいいなぁ・・・」とこぼすサラリーマンが多いというのも当世の風潮を反映しているのだろう。
けれども、その題とする「犯科帳」とはいったいどのようなものなのだろうか。「犯科帳」とは事件の顛末が記録された帳面のことであって、いま流で言えば「事件調書」とでもなるのであろう。
それだからドラマの中で私たちは「火付盗賊改方」つまり「火盗改め」の武士が「犯科帳」をペラペラと読み流すシーンを目にする。
誰であれ逆らう者ならば切り捨てても構わないとする「火盗改め」は、行動が迅速である上に実力行使をともなう。そのうえ容疑者の人権などのヘッタクリもなく取調べの厳しさといったら「江戸町奉行所」の比ではない。
つまり「北町奉行」の遠山金四郎がいくら町人に化けて悪人に「桜吹雪」の入れ墨をひけらかしても、その悪人がもし「坊主(僧)」であったなら事件の所轄は「寺社奉行」になるから、金サンが御白砂(おしらす)で片肌を脱ぎ「おい!おい!おい!」とくだんのごときタンカを切ることはできない。
「火盗改め」はこんな回りくどいことはしなくてもいい。坊主であろうと誰であろうと容疑者は捕えて尋問を行い、時には絶叫をあげるような拷問を加えて「白状」させることができるからだ。
古来日本では犯罪者がおのれの罪を自白することを「白状する」と言ったが、これは自白したことを長巻きの和紙である「状」に記入しなおして署名捺印をしたものを指したと考えられる。
もちろん「捺印(なついん)」と言っても、犯罪者が「印鑑」を持参しているわけではないので「爪印(つめいん)」を使うのである。
これはまず「爪(つめ)」を和紙にあて、その爪の上から象牙のような硬く尖った「へら」を和紙に爪の外環に沿って「上部半円状」の凹跡をつくり、この凹部に墨を吸わせた筆を這わせるものである。
この自白した「白状」を改めて帳面に書き写して記録仕立てとしたものが「犯科帳」である。
ただ、この「犯科帳」本来は「ぼんかちょう」と訓むらしい。そうすると「鬼平ぼんかちょう」か?・・・これはちょっと間がぬけてしまうな(苦笑)