これまでの記事
でした。
今回は・・・。
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私は好奇心が旺盛で、知りたがり。
本や記事を読んだりするのが大好きだし、
体験も大事にしている。
だから私の持つ知識はカッコよく言うと幅広く、
カッコ悪く言うと散らかっている。
そんなにも色々と知識を得て私は何を目指すのだろう?
実は目的は決まっている。
それは知識の円を体感してみたいのだ!
知識の円とは何か?
簡単に言うと、
学校での様々な科目を学ぶと気づくことがあった。
それは科目という名が付いてはいるものの、
理解しようという気持ちがあれば
一見何も関係性を見出せないような科目でも繋がっていることに。
その繋がりは恐らく最終的に円のようにぐるりと繋がるような予感がした。
なので私は知識の円と呼ぶことにしているのです。
繋がりに気付いた時の
嬉しさといったらプライスレスです♪
言語の科目が繋がるのは分かるし、
文系科目同士、理系科目同士が繋がるものあり得そう。
でも量子力学と哲学が繋がるなどの
ビックリなミラクルがあると感動はひとしおで、
生きて体験をすることの無限の価値を感じる!
先程簡単に書きましたが・・・、
上記の感動をして私がふと思ったのは、
関係無さそうだと思っていた学問が繋がるということは、
この繋がるということを沢山していけば、
「全ての事はまるで手を繋いだかのように1つの円となってひとつながりになるのでは・・・」
ということだった。
これは人生という長い時間をかけなくては出来ないことだと思った。
達成という言葉は使わない。
到底達成できるスケールではないから。
達成できないのでは辞めたらって思うだろうか。
私は断じて思わない。
それは上に書いたように、
一見何も関係性を見出せないような科目でも繋がっていることに気付いた時の
嬉しさといったらプライスレス
だからだ。
この嬉しさに気付いただけで人生においてめっけものなのかもしれない。
至上の幸福があるとしたら、この事は該当すると思う。
私が想像するに、
この知識の円は無限の直径を描くのではないかと思う。
なんという果てしないスケール!
宇宙を求めるよう☆彡
さて、
私は人が追い求めるタイプには2種類のものがあると思う。
それはタイトルに書いたように
「頂点」を目指すか「無限」を目指すかである。
で、今回わたしの脳内で勝手に勝負をしてみようと思う。
それは「頂点」と「無限」のどちらが上かという勝負である。
上の定義は私自身もちゃんと説明出来なくてすみません。
それでもって私は「無限」推しです。
これまでの文章からわかるように私は「無限」に興味がある。
ゴールに辿り着かなくてもいい。
追い求める楽しさというプロセスに価値を感じるのだ。
だから私は「頂点を目指す者」が理解できない。
私の中で頂点を目指すということは有限であるように思えて窮屈だからだ。
どう窮屈なのかというと
頂点という時点で枠組みが始めからあるように思える点が窮屈に感じるのだ。
それはきっと私という人間が
慣習的・封建的・即物的・限定的というものが苦手な質だからだと分析する。
そりゃあそうだ。
だって私は好奇心旺盛なんだから、上に羅列したような言葉は
好奇心を満たすための行動の障壁になってしまう。
では頂点を目指す者ってどういう人なのか?
誰にでも想像できることを挙げたい。
極端過ぎるが故に分かりやすいものを挙げると、
「領地や国などを沢山制覇して手にいれたい人」
つまり世界征服だ。
これは頂点を目指す者だと私は思う。
だって有限だから。
地球の広さは限られている。
(宇宙という空間を入手という考え方があるかもしれないが、
人間にとって宇宙は無限みたいなものだから、
宇宙を欲するもの=無限を目指す者ということになってしまうため、含めない)
何より仮にそれを手に入れたとして、
その後どうしたいのだろうかと思う。
人は恐れるから表面上従ってくれるだろう。
物も手に入るだろう。
でもそれは心を満たしてくれるものなのだろうか?
ていうのか楽しいのか?
何かに空虚さを感じておかしな方向にいかないだろうか。
例えば不老不死を望む・・・みたいに。
というか、
不老不死を望んでいる時点でそれはもう既に
「無限」を欲しているのだ。
だって永遠に生き続けるのだから。
頂点を目指していたが途中から無限に方向転換。
ということで私の脳内勝負は「無限」の勝ち☆
理由は、頂点を目指した後に更なる次のステージとして
無限を欲すると考えるからである。
勝負の話はさておき、
・・・私は
何かを征服するということに違和感を感じる。
小さいなと違和感を感じる。
宇宙を含めたこの広い世界のちっぽけな地球の範囲でいきがり、
他者を傷つけて、生きている喜びって本当に感じるのだろうかと思う。
人類を制覇しようとも、人間の世界だけでしか通じない富を1人占めしようとも
人間の枠組みから出ない。
人間の掟の中のすべて人工的なもの。
我々は「生き物」という「自然物」として存在しているのに。
私なら人間も含めて他の生き物の考えや感じたことを知るために
仲良くなって理解をし合えるようになりたい。
征服では私の知りたいという好奇心を満たしてはくれない。
だって、制服されたら心を開いてくれなさそうだから。
そうしたら教えてもらえることも少ないだろう。
それではつまらないのだ!
この世という遊園地にせっかく来て、
この遊園地のアトラクションもキャラクターもスタッフも
自分がいられる閉園時間まで知り尽くせるまで知り尽くす。
知った時の感動を味わえる遊園地ライフ。
そういう過ごし方をしたいのだ。
でもそういう遊園地ライフは簡単に送れるものではないと考える。
だってさ・・・、
なんだかんだ平和じゃないから・・・。
平和でない程度は大なり小なりあるとはいえどもさ・・・。
この遊園地を征服したいという考えが存在する限り、
無理なのだ。
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兄弟差別に関するnoteです。
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聖なる平和。