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前回は「死んだ愛犬への感謝の気持ち」でした。

今回は・・・。

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私の古い友人が幼い子を育児中です。

彼女は教育熱心です。

そのためなのかタイトルのような質問をされました。

 

 

「保育士さんから見て頭の良い子ってどんな子?

保育園に通っている時から頭が良いと思ってもらえるなんて、

きっと元々頭が良い子なんだろうなぁ」

 

 

この質問から察するに、

頭が良い=地頭が良い

という意味なのかなと思いました。

 

 

この質問、かなり返答に困りました。

 

 

それは滅多なことを言えないからでしょう?

と思われるかもしれません。

 

 

・・・・・・私が思うに、

頭が悪いなぁって思う子なんてそうそういないんですよね。

 

 

やんちゃだからと言っておバカさんではないし、

1人で遊んでいるからと言っておバカさんではないし、

マイペースだからと言っておバカさんではないし、

文字や数字をまだ憶えていないからと言っておバカさんではないし。

(ていうか文字や数字は後からいくらでも学べる機会が嫌でもやってきますし)

 

 

よくよく見れば子供たちがそれぞれに頭を使っているんだなぁと思う。

それには感心させられることが多いです。

 

 

ただ、質問をしてきた友人は大人です。

この場合、大人目線で納得いくような返答を求められていると私は思います。

 

 

もちろんいい加減なことを言う気はありません。

嘘を言う気もありません。

それは友人に対する裏切りですし、何より失礼というものです。

 

 

大人から見て・・・、

「頭が良い子だなぁ」と思ってもらいやすいタイプはいると私は思います。

 

 

それも勉強が出来るということではなく、

地頭が良いんだなぁと思えるようなタイプです。

 

 

それは、文字や数字(計算)や記号などを他の誰よりも沢山憶えている子ではありません。

 

 

ではどういうタイプの子なのか?

 

 

それは、

「漠然と生きていない子」

と私なら答えます。

 

 

どういう意味なのか。

 

 

漠然というのはボーっとしていないという意味であって、

常に命の危機を感じて気配を察しようとする・・・みたいな

格闘マンガ的なものではありません。

 

 

例えば、

保育園の部屋には友だち達が登園する際に使っている

リュックやバッグがそれぞれのロッカーに置いてあります。

そのため室内で過ごしている間は常になんとなく視界に入っているわけです。

 

 

でも、そのなんとなくをスルーするかそうでないかは子供によりけりです。

 

 

どちらが漠然と生きていないかは後者です。

 

 

夕方になると保護者がお迎えにくるので園児の名前が呼ばれます。

ある程度の年齢のクラスになると、呼ばれたら自分のリュックやバッグを持って行きます。

でも、ついつい自分のリュックを持ってこないで出入口まで来てしまう子もしばしばいます。

お迎えが嬉しいのでしょうね。

 

 

そうすると、

たくさんあるリュックの中からその子のリュックを見つけて

「○○君のリュックだよー」

と言ってわざわざ持ってきてくれる子がいます。

しかも学年が違っても持ってきてくれる子がいます。

 

 

人数が少ない園ならまだしもそうではない場合、

いちいちどのリュックが誰のだなんて憶えていない子は多いです。

 

 

でもそれを誰に言われるでもなく憶えているということは、

普段は景色のように置いてある自身が触ることもない物を

大なり小なり意識しているという点から

「漠然」とはしていないんでしょうね。

 

 

別に憶えてもらわなくて構わないんですが、

ただ単によく見ているなぁとか憶えているなぁと思うと同時に、

わざわざ持ってきてくれる所から記憶したことをアウトプットも

しているんだなと思います。

また、

お迎えの流れを把握しているため次に何の行動を取ればいいのかの

ビジョンが見えているわけです。

 

 

こういった行動は全員が取れるわけではないです。

(念のために付け加えますが、そういう行動を推奨しているわけではありません。

ただ持ってきてくれた際はありがとうと言いますが。)

 

もちろんこういう子はリュックに限らず他の事に対しても

同じような反応を見せます。

 

 

私はこういう行動に対して自分なりに

「漠然と生きていない」

と名付けています。

 

 

でも園児のような年齢に限らずそういう子はいるそうです。

 

 

というのも塾の先生とお話をした時に出た話題なのですが、

(その塾には未就学児はいません。中学生や高校生もいます。)

 

塾内、特にエントランス付近は壁に色々な案内の紙が貼ってあるそうです。

模試とか○○講座の案内みたいなやつですね。

 

 

そういったお知らせはちょこちょこ変わるそうなのですが、

そのお知らせの紙が変わると

「あ、それ新しいお知らせだよね?」

って言ってくる子が少数ですがいるそうです。

 

 

他の子はスルーで目にも留めてなさそうだし、

話題にも出さないのですが、

気付く子も中にはいるそうです。

 

 

たしかに、

さっきのリュックを景色としてスルーしていない=漠然と生きていない子

に共通する行動です。

 

 

そしてそういう子は勉強が出来る子がたしかに多いイメージだと言われました。

 

 

不思議・・・。

なぜなのだろう・・・。


 

どうやらそれは記憶力が良いのもありますが、

ちょっとしたことに気付けるという点と

得た情報を様々なことに繋げて考えられるかららしいです。

 

 

記憶力が良いのは勉強において有利なのはわかります。

 

 

ちょっとしたことに気付けるというのは、

違和感とか言葉や文章の言い回しの違いなどに気付けることだそうです。

そこに気付けるだけで、出題の意図が汲み取りやすくなりますし、

解答を導くためのヒントを得やすい、若しくは気付きやすいからだそうです。

 

 

そして様々なことに繋げて考えられることというのは、

これまで学んだことと結びつけて考えることが出来るから吸収が早いそうですし、

応用もできるからだそうです。

 

 

たしかに上記のようなことが出来るのならば

勉強が出来ない方が不思議と思います。

 

 

おそらくそういう学習が出来るのならば、

ガリ勉という感じでもないのでしょうね。

 

得た知識や経験が繋がる楽しさを感じながら学習していける・・・

しかも、勉強面だけでなく他の面においてもそういう頭の使い方をしている。

例えば張り紙1つであっても・・・。

人生においても色々と違いが出てくることと思う。

 

 

だって何か1つのことをやらせても他の人より気付きも実りも多いものになるだろうから。

 

 

納得・・・ですね。

 

 

リュックの園児が全員上記のような勉強のやり方をする子になるかどうかは分からない。

でもその片鱗を見ることが出来る。

 

 

ここまで書いたことを教育熱心な友人に話しました。

「うーん」

と唸っていました。

 

 

私は友人の教育方針に対して口出しをする気はないです。

でも質問にはちゃんと私の意見を答えた。

 

 

これからどうするのかは自身で考えてもらいたいと思う。

 

 

 

 

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