昨日の夜、2種類の涙を流しました。ひとつは、いい友達がいてよかったな、といううれしい涙。
もうひとつの涙は娘の涙。今、私たち夫婦は大きな節目に直面していて、私もいろいろ振り返って考えてます。何がいけなかったんだろう?
ひとつのことじゃない。たくさんのことがからみあっている。そして、わたしのperspectiveは、彼のperspectiveとは全く違う。現象はひとつでも解釈はひとの数だけある。だから、仏教では、自分が見るものは実は自分自身を見ているに過ぎないと、教えてくれる。もし、人を批判している自分がいたらその批判は自分の中から生じたもの。自分の見る世界は自分を通してしかありえない。だから自分と世界、自分と他者というのは切り離しては存在しえない。それが無二の言わんとするところではないか。NO DUALITY.
だとしたら、レイちゃんの見る世界はどんなだろう、と想像してみた時に私は唖然とした。そして涙がとまらなくなった。小さな胸を痛めて、一生懸命だったんだね。
私にはいい思い出がある。彼にだってあるはずだ。でもこの子にはあるんだろうか?
この前、友達がハプナに彼女を連れていってくれた。レイちゃんも私達夫婦と行ったことがあるのだけれど、覚えてないという。日本にみんなで行ったのも覚えていない。小さすぎて。彼女はいつ頃からの記憶があるのだろう。彼女の記憶が始まる頃は、もうすでに私達の関係がギクシャクしてきた頃だろうか?だとしたら、いい思い出ってどれぐらいあるんだろう?過ぎた時間は取り戻せない。幼少の記憶に影を背負って生きていくことになる彼女。親の責任って本当に重大です。

それをこぼしたら、
That's ok. You start new good memories now.

前向きにやるしかないですね。皆さんありがとう。


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