今から30年前

僕がパソコンを始めた頃の話である。

 

当時のパソコンは5インチの

フロッピーディスクで動いていた。

CPUのクロック周波数は16MHz

メモリーは4MB積んでいれば上等だった。

 

NECが製造していた

PC−9800シリーズが台頭で

上記のスペックのパソコンでも30万円ぐらいして

とても今のように「一家に一台パソコン」

なんてことは出来なかった。

ディスプレイは別売。

今となっては当たり前の

絵柄表示も何もなく

操作も出力も文字のみ。

 

それでも、256色のグラフィックは

扱うことができて

ソフト会社が様々なゲームソフト

(特にエロゲー)を出していた。

 

そして、僕がパソコンを父に買ってもらった

28年前。

この頃になるとCPUは33MHzにグレードアップ。

メモリーは5.6MBと中途半端な数字。

そして、「ハードディスク」と言う

画期的な記憶装置が出てきたのだ。

僕が買ってもらったパソコンについていた

ハードディスクは340MB。

なんと今では長めの動画1本分で

CD1枚分も記憶できない。

 

それでも、C言語のコンパイルが

ほぼ一瞬で終わるのには驚いた。

 

ようやく現在のWindowsに近い

マウスを使って絵柄をダブルクリックして

操作するシステムが生まれた。

 

この頃からこのシステムは

Windowsと呼ばれていて

マイクロソフト社の登録商標だった。

バージョンは3.1。

 

いちばん手前に表示してあるソフトだけが動き

後ろに回ったソフトは動きを止めていた。

 

ファイル名も8文字(全角は4文字まで)しかつけられず

「元平将一.txt」と言うファイル名で精一杯だった。

 

その2年後にWindows 95が出た。

このシステムはバカ売れした。

中にはこれがパソコン用のソフトだと

わからずに買った人もいるのだとか。

 

後ろに回ったウインドウのソフトも動くようになり

ファイル名も9文字以上つけることができ

グラフィックも格段に良くなった。

 

ただ、僕のパソコンの当初のスペック

メモリー9.6MBでは動かしづらかったので

これに合わせてメモリーを32MBまで増やした。

この頃のメモリーモジュールは

32MBで1万円した。

そして、ソフト提供媒体がフロッピーから

CDーROMに代わり

CDーROMドライブと

1GBのハードディスクを買い足した。

 

Windows95そのものはCDではなく

25枚組のフロッピーディスクでの提供だった。

インストール作業は25枚のフロッピーを

入れ替えなければならないので大変だった。

 

インクジェットプリンターは当時からあった。

流石にカラープリンターは高嶺の花で

僕が買ったのはモノクロだった。

当初プリンターに何かを出力する際は

他の処理を全て止めてプリンターに

データを流していた。

プリンターの動きも今の3分の1ぐらいしかなく

印刷中はタバコタイムだった。

 

「株式会社メルコ」と言う会社が

この事態を解消すべく

プリンター側につける「バッファー」と言う

装置を開発、「バッファ郎」と言う

商品名で売り出した。

 

すると、プリントアウト中に止まっていた動作が

このバッファーにデータを送ってしまえば

終わりとなり

プリントアウト中もパソコンで作業が

できるようになった。

 

この商品はバカ売れし

やがて「バッファ郎」→「バッファロウ」

→「Buffalo」と言うブランドが出来上がり

のちに今日の「株式会社バッファロー」に

社名変更したのである。

 

今ではパソコンのメモリーの一部が

このバッファーの役目を果たしている。

 

500MBクラスのハードディスクが台頭だった頃

SSDという商品は なんと既に存在していた。

当時はSSDではなく「シリコンディスク」と

いう商品名だったが

確か40MBで20万円した。

出していた会社は上記の株式会社メルコ。

 

それから4年後、

RolandのSCー88STというシンセサイザーを買い

本格的にDTMを始めるようになった。

それまでは、PC98に付いている

内蔵FM音源を鳴らしていた。

 

パソコンはPentium83MHzの

オーバードライブプロセッサーを付けながら

地道に使っていたが

1999年、ついに僕はPC98を離れ

PentiumⅡ−450MHzの

PC/AT互換機に乗り換えた。

システムはWindows 98。

このパソコンはWindows XPに

なるまで使った。

 

それから10年くらいは自作パソコンブームで

僕も7台ぐらい自作パソコンを組み立てた。

東京に住んでいたこともあり

根っからの「アキバ系男子」だった。

体重も110kgの巨漢だった。

 

僕がそれを卒業したのは

とある女性スキャンダルが浮上して

IT企業から退職勧奨を受けたのがトリガ。

長崎に帰郷し

女性スキャンダルの悔しさをバネに

ダイエットに励み

今の標準体型となった。

 

最後に買ったパソコンは

Core i5のメモリー4GBの

中古のタブレットPC。

楽天市場で16000円、今年の3月に買った。

 

メインで使っているパソコンは

2011年6月に買った富士通のノートパソコン。

これを今でも壊れた部品を修理したり

交換したりしながら使っている。

 

音楽制作もシンセサイザーから

ソフトウェアのVSTiに切り替わった。

今ではCPUも2GHzで動き

最初のパソコンのン百倍というパワーで

リアルタイムに音を作りながら演奏できる。

 

もっとも、1998年ごろには

MMXという技術を搭載した

Pentiumブロセッサーが搭載され

この頃にはソフトウェアシンセサイザーがあった。

RolandのVirtual Sound Canvasと

YAMAHAのSoftSynthesizerが台頭だった。

またCreative社も半ソフト半ハードの

MIDI音源を出していた。

これらの技術が融合されVSTiに繋がっている。