こんばんは、ヨシムラです照れ

 

 

壊死性リンパ節炎で人生観が大きく

変わった私。人生の棚卸しをして

みようと思います!!

 

 

今でこそ「思ったら即行動」

「普通で終わるタイプじゃない!」

と言われる私。

(自分的にはそんな風に思わないケド)

 

 

振り返ると幼いころは正真正銘の

チキンだったりします🐣

踏んだり蹴ったりの

 

ヨシムラSTORY

お付き合いくださいませ音符

 

吉村美保とはこんな人。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

前回はコチラ

私は母の宝物で、私は母のはけ口②

 

 

今日は母の病気の話。

 

 

 

母が私が小学生のうちに2度手術

をした。

 

 

一度は盲腸。

 

 

二度目は子宮筋腫。

 

 

 

記憶が曖昧なんだけど、どちらか

一方は家で留守番をし、どちらか

一方は父方の従兄弟の家に預けら

れたと思う。

(父も泊まってたけど、昼間は仕事)

 

 

 

 

父方の従兄弟宅へ預けられた時は

違う家族の中に1人だけぽつんと

入るのが怖くて嫌だったみたい。

 

 

 

 

毎日泣いてたことだけ覚えてるえーん

 

 

 

 

父が仕事にいこうと布団から抜け

出す瞬間、いつも私は父の服を掴ん

でたらしい。

(泣けるえーん)

 

 

 

 

 

一方、家で留守番の時は案外気楽

に過ごしていた。

 

 

 

 

近所のおばちゃんがお昼になると

ご飯作って持ってきてくれたり、

 

 

幼なじみのYちゃんのお家で夜

ご飯だけ食べさせてもらったり。

 

 

 

 

昼間は父と借りに行ったビデオを

ひたすら見て時間をつぶしてたん

じゃないかな。

 

 

 

 

あ!近所のおばちゃんの家に上がり

込んでおばちゃんの内職姿を後ろで

見てたなぁ。

 

 

 

この近所のおばちゃんには本当に

お世話になった。

 

 

 

おばちゃん以外には母のことは話し

てなかった。

 

 

 

噂好きの大人が私を見つけては母の

状況を根掘り葉掘り聞いてきた。 

 

 

 

 

なんとなく「嫌な空気」を読み取っ

た私は、小学校低学年にして

 

 

 

 

空気を読んでやり過ごす

 

 

 

ことを覚えた。

 

 

 

「この人たちが私に聞いてくるって

ことは、お母さんは病気のことを

この人たちに話したくないんだ!」

 

 

 

「なら私も隠さなきゃっ‼︎」

 

 

と思ったのです。

 

 

 

 

 

この経験が「ひとりで判断する」

トレーニングになったと思います。

(あの人たちの私への聞き方、雰囲気が

すっごい嫌だった)

 

 

 

 

今思えば私の強い自立心は母から

擦り込まれた

 

 

「生涯ひとり説」

 

 

 

そして、それを実感するようなこの

出来事から恐怖心を感じ、出来上が

ったものなのかもしれません。 

 

 

 

 

次回

父は私を愛していたんだなぁ①

でお会いしましょう。

 

本日も最後までご覧くださり

ありがとうございました!!

 

 

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嬉しいですおねがいドキドキ