こんにちは。
なおです。



末っ子も
一人暮らしを始めて
気づいたら
子どもたち3人とも
関東だわ。




明日は
ITZYのライブがあって
3人一緒に行くらしいので
ファミリーLINEは
盛り上がっております。






楽しそうやなーー。


ええなーーー。


 
家を出てても、
みんな仲良く
一人暮らしを
楽しんでくれてるから
安心安心♡
 
 
𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧𖥧



こころ9割。
ノートを使って、
こうありたい、に
素直に手を伸ばす、
そんな人生の
作り方。


いつもお産で感じる
「女性はみんな
すごいちからを持っている!」
という思い。


ゆるんで
巡れば、
誰でも
その力を使えるのです。

 
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さて。


つい最近、
看護学生時代の同期と
ランチしたのだけれど。




その同期は
今は
看護学生の教員を
しています。




同じく助産師になったんだけど、



なんで
教員になったの?
って話で、

お産は何があるか
分からないし、
いつも緊張するし、
怖いし、
神経すり減るし、
毎日
しんどかった、って。

今は、
そういう緊張感もなく
穏やかに働いてるよー
って言ってた。




確かになーー。



お産って、ほんと
何があるか分からない。





でもその時
ふと思ったのが、




もし
私が
あの時、
教員なります、って
言ってたら
今頃
どんな感じだったんだろか、
ってこと。




実は
数年前、

うちの病院に
助産実習にきてる大学の先生から、

「大学で教えませんか?」と
わたしに声がかかったことが
あったんです。




さかのぼれば
中学生のとき、
三者面談のときに
担任の先生から
「学校の先生、いいんじゃない?」
と言われて、


「先生には絶対なりたくない!」と
答えて、


家に帰ってから
母親に
こっぴどく
叱られたことがあったなー笑

「先生をやってる人の前で
あんなにキッパリと
なりたくない、なんて
言うもんじゃない」って。

ま、そりゃそうか笑




話は元に戻って。





看護学校の教員をやってる
友人の話を聞きながら、

もしあの時、
助産の先生の話を
受けていたら

今頃
どんな感じだったのかな、

なんて
思ったんですよね。




もしも、

っていう仮定は
存在しないんだけどね。




友人は
穏やかでいいよ、
って言ってたけど、

私は逆に
大学で先生とかだと
研究もやらなきゃだし、
教えるのも
きっと
こころ穏やかじゃ
ない気がする笑




現場の方が合ってるな、
と思って
お断りはしたのだけれど。




もしもあの時、
って
意味のない問いではあるけど、




でも、
その問いをすることで、


多分教員をしていても
目の前のことに
一生懸命
向き合ってるだろうな、


って
自分は
どんな環境にいても
やってることは
結局同じ、ってことに
気づく。



大切なのは
環境じゃなくて
やっぱり
自分なんだよなぁ、
ってことに
気づけるのだ。




大切にしたいものは
いつでも変わらない♡




でももし、

「もしもあの時…」

って
後悔とともに
思うんだったら、



そこは
自分と対話するタイミングだよ。




あの時
ああやっとけば良かったなー、
そしたら今頃…



今頃
どうありたかった?



大切なのはここ↑



じゃあ
今から
そうあればいい。




それだけ♡




それにしても、
わたし、
自分では
教える、
って
全く向いてない、って
思うんだけど、

(自由にやったらいいよー、って
放任してしまうから笑
新人教育も苦手…)

助産の先生の前にも
看護学校の
先生の話もきたことあるから、

ま、やってみても
いいのかもしれない笑



そういえば、
高校生の時、
仲良しの友だちで、
私のことを
「せんせー」って呼ぶ子がいたわ笑




もしもあの時、

そんな
自分の中の
分かれ道、

あなたには
ありましたか?