9月の末日は、2024年の上半期の締めがある大事な日でした。

9月の初旬から特別業務の照準を「9月30日」に設定してました。

父のことが気になりながらも、朝から業務に没頭してました。

16時頃に「締め」の特別業務が完了しました。

上長に結果を報告した後、デスクに戻り「ふぅ」と深呼吸をした直後。

仕事用のスマホが鳴りました。

画面を見ると「姉」と出ていました。

その瞬間に、僕は何が起こったのかを理解しました。

 

それは姉と約束していたからです。

「もし父に何かあったら、仕事中は仕事用のスマホに連絡がほしい」と。

会話は10秒ほどで終わりました。

 

僕は姉との電話を終えた後、10分後には会社を出ていました。

事前に会社に報告していたこともあり、スムーズに退社することが出来ました。

 

そこからのことは、あまりハッキリと覚えてないんです。

帰宅後、奥さんに手伝ってもらって準備をしました。

いくらがいる為、奥さんにはギリギリまで大阪にいてもらうことにしました。

僕は先にマリオで故郷へ向かいました。

運転中も不思議と涙は出ませんでした。

「父が亡くなった為に実家に向かってる」ということは理解してました。

 

当日は時間が遅かったこともあり、父に会うことは出来ませんでした。

翌日の朝、病院にて父に会うことが出来ました。

そこで初めて実感しました。

父は冷たくなっていました。

最後に会ったのは23日のことでした。

1週間前のことです。

「また来るから」と僕が言うと、父はしっかりと手を握り返してくれました。

前日の29日、僕は仕事が休みでした。

でも、父には会いに行きませんでした。

予約していたいくらのトリミングを選んだのは僕です。

後悔はしていません。

 

交通事故がきっかけではありましたが、末期の癌が見つかってから2ヶ月半。

父は、しっかり生き抜きました。

「100歳は難しいかもしれんけど、90歳は余裕」と日頃から周囲に話してた父。

その「余裕」まで7年以上もある状態で旅立ちました。

「せっかち」な父らしいと言えば、そうなのかもしれません。

 

母が旅立ってから3年。

父も、母の元に旅立ってしまいました。

僕も、もうこの年齢ですから、両親がいなくても不思議はないのですが。

言葉ではうまく説明できない気持ちに襲われています。

「実家」がなくなったような。

もちろんまだ実家はありますし、帰ろうと思えば帰ることは出来ます。

でも・・・。

「最近少し涼しくなったねぇ」と言う母も居なければ、

「最近、仕事はどうなんや」と言う父も居ません。

寂しいですね。

本当に寂しいです。

 

故郷で通夜と葬儀は無事に終わりました。

いつも通りの生活が始まっています。

兄や姉と話し、笑い、手を振って別れ、Perfumeを聴きながら奥さんと大阪に帰って来ました。

奥さんの誕生日が父の葬儀と重なってしまい、奥さんには本当に申し訳ないことをしました。

でも、奥さんは僕が予約したケーキのキャンセルの電話までしてくれました。

自分のケーキのキャンセル電話を。

この2ヶ月半、僕は家にはほぼ居なかった。

仕事に行ってるか、仕事休みの日は実家に帰ってるか。

その間、いくらの世話をして、家を守ってくれました。

本当にありがとう。

改めてケーキで別日にお祝いします。

 

今頃、父は母に会えたのでしょうか。

今朝、スーパーで買い物をしました。

アボガドを選んでる時のことでした。

何があった訳じゃないのに、急に涙が止まらなくなって。

自分でも意味がわからない。

どこからやってくる「想い」なのか。

 

でも、兄や姉も同じように感じてるようです。

今の実家に住んだことがない兄も、LINEで「名残惜しい」と。

兄がこういうことを文字にするのは珍しいので、余計に泣けました。

兄は、今回喪主であり、すべてを引っ張ってくれました。

姉は、父の最後の2ヶ月半、すべてを父の為に注いでくれました。

僕は・・・何が出来たんだろう。。。

なのに、脱力感でいっぱいで体が動きまません。

「両親」という大きな存在。

僕は頻繁に会いに帰ってた訳ではなく、正月などに会うぐらいでした。

それでも「存在」が僕を支えてくれていました。

それが「両親」ということなのかな。

 

ドラマや映画でよく聞くセリフだけど。

父と母は「僕の心の中で生き続けます」

ずっと。これからも。

この世に僕を誕生させてくれて、ありがとう。

感謝しています。

これからも、奥さん&いくらと仲良く暮らしていくので、見守っててください。