いつの頃からか「お父さん」の事を「父ちゃん」と呼ぶようになりました。 
なんでだろう?

でも、父ちゃん本人は、私たちに自分の事を話すときは「お父さんな、」と言ってた様な。

そんな父ちゃんは、
約3年7ヶ月前、「前立腺癌骨転移」が発覚。

病気が見つかった時には、ステージ4です。
名前にもある様に骨に転移をしてる状態。
手術が出来ないので、放射線治療や抗がん剤治療をしてました。
一旦は、薬で良くなったものの、一時的なものだったみたいです。

とにかく、旅行が大好きだったので、病気が発覚した後も今までと変わりなくいろんな所に行ってました。
ある時は、1人で増富温泉に湯治に行って、近くの瑞牆山(みずがきやま)の紅葉を見て良かったらから、次にはお母さんと一緒にそれを見に行ったり、地域の人たちとの旅行に行ったり、近所の仲のいい友達にドライブに連れてってもらったり。

ちょうど一年前、脳梗塞で左手が麻痺になってしまい、車の運転も出来なくなってしまったけど、お母さんや姉や私が変わって父ちゃんナビで色んな場所に連れて行きました。

家にいても、父ちゃんの会社の部下の皆さんや、業者関係の皆さん、近所の友達、兄弟、色んな人たちが会いに来てくれてました。

そして、昨年末、転移してる背骨が変形し、ついに下半身の神経に触ってしまい、車椅子生活になりました。
それでも、調子が良い時は、車に乗せていろんな所に連れて行きました。
年が明けてからも、八ヶ岳周辺、御殿場と弾丸ドライブ。
河津桜が満開の時には、ちょうど私も休みだったので、ほぼ無理矢理連れて行きました。
「ありがとう、また来年も来よう」とも約束して。

それから3月に入ってからは、
体調が優れない日が続いていました。あまり出掛けられなくなっちゃいました。
4月9日のシュリンプコーラスさんのコンサートの時にご存知の皆さんからも心配してる事を伝えたら
「ありがとう」って

だんだん、日に日に弱っていってるのは分かってました。
私が面倒を見ていると「わりぃなぁ」って本当に申し訳無さそうに言ってて、もう、その時は耳も聞こえなかったから、首を振る事しか出来なくて。
ただ、体調が今日は悪いんだな。ってくらいにしか思って無かったです。

お母さんから入院の知らせを受け、用事が済んだら行こうと思ってたら、すぐに着信があって
「すぐ来れる?」って…
覚悟する間も無く…
4月26日に旅立ってしまいました。
もう、本人的には疲れ果ててしまったんだと思う。色んな痛みやらなんやらから解放されたかったのかもしれない。
すんごく穏やかで安心した顔してました。

30日に通夜、1日に葬儀と無事に終えました。
納骨は、天候の関係で49日になりました。
本当に本当に多くの皆さんに見送ってもらい、父ちゃんもきっと喜んでいたんではないかと思います。
父ちゃんの偉大さをいなくなって初めて知るなんて、
葬儀屋さんも言ってました。
「人間、どれだけ長く生きるかではなく、いかに生きるか。というのを学びました」と。

父ちゃんを見習っていきたいと本当に強く思いました。

昨日、ふとした瞬間に頭の中に父ちゃんの声で
「お母さんを頼むな」って聞こえて。
言われなくても、守っていきます。

父ちゃん、沢山の思い出をありがとう。


記録として、このブログを書きました。
読んで頂いてありがとうございました。