祖母

といっても父の実姉

夫婦に跡継ぎがいなかったので

年の離れた弟を養子にしたそうだ

 

私が1歳の頃から母が働きにでたので

日中は祖父と祖母が面倒をみてくれた

当時商店を営んでいたので

小柄で華奢な体で

私をおぶって店番したのだろうか

 

保育園の送り迎えも

車どころか自転車も乗れない祖母が

毎日徒歩で2往復してくれた

幼児の足で片道40~50分

真冬の吹雪の日は

魔女みたいな黒いマントの内側に私を囲って

自らが風除けになって守ってくれたのを

覚えている

 

一緒にお風呂に入りながら

「大きくなったら ばーちゃんに

あったかいマント買ってあげるね!」と言うと

顔をしわくちゃにしてニコニコ喜んでいた

 

祖母はなんでも器用でセンスがよかった

着物や布団も自分で縫うし

安さが売りの量産品などは

「安物買いの銭失い」と言って

質のいいものを長く大事に使っていた

 

料理も上手

味噌や梅干し乾物などの保存食も手作り

和食はもちろん洋食も見様見真似で上手に作ってたし

おやつやお祝事のご馳走もすべて手作り

 

掃除は行き届いていて

いつもすっきり清潔

 

野菜作りも完璧

当時は耕運機もなく肥料も肥やしなのに

すべて人力でいくつもの畑仕事をして

立派な野菜をたくさん作っていた

 

改めて考えてもすごいな無気力

幼い孫の面倒を見つつ

便利家電のない時代にこれだけの家事や仕事を

文句や愚痴など言わず完璧にこなし

三歩さがって夫に尽くす

主婦の鑑だな照れ

 

電車やバスでお出かけも連れてってくれた

一緒に親戚や知人宅を訪ねるくらいだけど

お昼ご飯には

「そば食うかやウインク」とラーメン食べさせてくれたりよだれ

 

社交的でものおじしないので

分からないことや困った時は

「聞くは一時の恥 知らぬは一生の恥」と

誰にでもすぐ聞いて頼もしかった

 

風邪をひけばバスで医者に連れてってくれて

痛い治療を頑張ったご褒美に

帰りに甘いものを買ってくれるのも楽しみだった

 

ただ甘やかすだけでなく

しつけなどは厳しい面もあったけど

とてもとても可愛がって育ててもらった

 

そんな祖母に酷い事を言ったことがあるショボーン

 

出産後里帰りしている際

母乳も飲んだしおむつも替えて

寝かしつけようと抱っこしてても

泣き止まなくて困っていた時

 

ひ孫可愛さと心配とでいろいろ口を出す祖母が

「乳が足りてねーんだねーか!?

抱き方が悪いんだねーか!?」と

責めるような強めの口調で言ってきたので

 

「わかった風なことを言うな」と

ついイライラをぶつけてしまったショボーン


歳の離れた弟妹や

私の事も育ててくれた経験から

言ってくれたのに…

 

その時は

「そんな事ゆうてくれるなや…

ばーちゃんはただ心配で…」としゅんとしてたけど

すぐにいつもの世話やき婆に戻り

ひ孫をとても可愛がってくれた

 

後々 祖母が認知症になり

昔の事や内緒にしてた話などを言うようになった時

「戦争中に子供を産んだが

生後しばらくして亡くなった

あやすとにこにこーっと

笑い返すようになった頃だった」と

懐かしむように さみしそうに話した

 

子供が授からなかったのではなく

亡くしていたのだ

 

母にその事を話したら

直接は聞いてないが

身内から聞いた事があるそうだ

 

そんな辛い経験をしてきた祖母に

なんてひどい事を言ってしまったのだろう

謝ってもすまない

あの時に戻って自分をひっぱたきたい

 

祖母は

祖父の13回忌を済ませた年に老衰で旅立った

 

物のない激動の時代に生まれ育ち

苦労して自分のことより家族のために尽くし

無償の愛をそそいで育ててもらったのに

時にはケンカしたり生意気なことを言って

悲しませてごめん

 

本当に尊敬しているし

大好きな自慢のばーちゃんです

ほんとにほんとにありがとう

 

逢いたいな


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追記

こうして文字にすると

祖母がどこで祖父と出会い

遠くへ嫁に来たのか疑問に思ったので

今となっては唯一の語り部の母に聞いてみた


祖母は当時石油産業が盛んだった土地で

飲食店を営んでおり

仕事終わりに飲みに来た祖父が見初め

絶対にこの人を嫁にしたいと交渉


まさかのナンパ!びっくり


祖母が「そう言われても

自分の一存では決められない」と言うと

祖父は祖母の父に直談判し

許しを頂いたとかチュー


時代的にお見合いだろうと思っていたら

なんと素敵な恋愛結婚だった指差し飛び出すハート


語り部が忘れないうちに

もっといろいろ聞いてみよう~照れ