『あれから一年』
私は、あの日まで大きな地震を経験したことがなかった。あの日も始めは「地震か」くらいの気持ちだった。物は落ち、停電までしてこれはヤバいと外に出た。一時車に非難し、まだ寒い3月で怖かったけど、家に入った。逃げられるように玄関近くで荷物や暖を取るために布団を出して、そこでやっと携帯テレビを見た。
そこでみたのは、宮城県の映像だった。一瞬海の映像?と思ったが全て津波にのまれた町の映像と知り、衝撃が走った。現実と受けとめるのが辛かった。
夜は、お菓子等を少しずつ食べて、眠れないけど、寝た。夜明けごろ電気が復旧した。翌日改めてテレビで状況を確認したり、友達の安否を
で確認した。
私の周りは、所々壁などの崩れと燃料や食料の流通が滞った。情報交換しながら少しずつ確保して過ごした。
一番思ったのが、物もあるが心の準備が足らなかったなって。阪神や他の地域の大地震の映像や話は聞いて自分も気を付けなきゃって思っていたが、どこか他人事となっていたのでは?とも。
これからも忘れない事と備えをする事。被災地へ自分の出来ることで助けさせていただく。今も続く問題をちゃんと理解する。そして暗くなりすぎずに元気でいたい。
私は、あの日まで大きな地震を経験したことがなかった。あの日も始めは「地震か」くらいの気持ちだった。物は落ち、停電までしてこれはヤバいと外に出た。一時車に非難し、まだ寒い3月で怖かったけど、家に入った。逃げられるように玄関近くで荷物や暖を取るために布団を出して、そこでやっと携帯テレビを見た。
そこでみたのは、宮城県の映像だった。一瞬海の映像?と思ったが全て津波にのまれた町の映像と知り、衝撃が走った。現実と受けとめるのが辛かった。
夜は、お菓子等を少しずつ食べて、眠れないけど、寝た。夜明けごろ電気が復旧した。翌日改めてテレビで状況を確認したり、友達の安否を

私の周りは、所々壁などの崩れと燃料や食料の流通が滞った。情報交換しながら少しずつ確保して過ごした。
一番思ったのが、物もあるが心の準備が足らなかったなって。阪神や他の地域の大地震の映像や話は聞いて自分も気を付けなきゃって思っていたが、どこか他人事となっていたのでは?とも。
これからも忘れない事と備えをする事。被災地へ自分の出来ることで助けさせていただく。今も続く問題をちゃんと理解する。そして暗くなりすぎずに元気でいたい。