S.B.Tのブログ

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見た目と中身のギャップに苦しむ29歳

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幼少期や過去に抱えたトラウマは

どうやら克服するのは難しいようである。

ましてやそれが影響して人格までもが変わってしまうことも。

 

キョンキョンの舞台を観劇した。

舞台が好きで、女優業と並行して

舞台女優をしていることは承知していたが、

下北沢の小さな箱で、あのキョンキョンが

これまでか!というくらいの悪女を演じている。

舞台に立つキョンキョンを観るまで

不思議な感覚だったけど、

いざ舞台に立った本人を目の前にすると、

役になりきり、なんの違和感も感じないからすごい。

 

自由席で、半ば体育座りのような恰好で

2時間観劇したのだが、まさに"あっという間"であった。

それは、物語の内容が面白かったことと、

何よりキョンキョンが2mという至近距離にいたことがそうさせたのである。

表情、おでこのしわ、ネイルまですべてがはっきりと見えた。

声を張る場面や、ふとした瞬間に

馬場カヨや吉野千明など、これまで演じてきた

女達を思い出すような体験もあり、ニヤリとしてしまった。

 

過去の傷を抱えたまま、

自分よりも不幸な人はいないという思想を持ったまま

成長してしまった女が引き起こす事件は残酷だけど、

そこまでいかなくても、幼少期や思春期に感じた感情って

いつまでも付き纏うような気がしていて、

あの頃見ていた景色が反対側、いや斜め45°違う方向を

向いていて、違う時間軸を生きていたら、

今頃どんな自分だったのかなって思うこともある。

 

でも、あの時違う景色を見ようとしなかった自分が、

違う時間を取り入れる勇気がなかった自分が悪いのだ。

だからこそ、今は自由気ままに、好きや嫌いを我儘にならない程度に

はっきりと自覚して生きているのかもしれない。

急なスピードで3月に突入。

同時に寒さも少し和らいで、生きた心地がしている。

 

ここ最近は自分自身の色気のなさに悩んでいる。

 

幼少期からさほど変わらない顔立ち。

だから年齢を増すごとに童顔具合は進行して(いっていると自分では思っている。)

髭も童顔だから似合わない。

短髪も顔が逆三角形だから(?)なんだかしっくりこない。

この顔で色気を出すには...

 

そういえば昔、毎日鏡を見ることは自分自身の欠点を

見つける機会が増えて、自分磨きになると聞いたことがある。

それを今更心がけて机の上に鏡を導入し、

食事をしている時やらテレビを観ている時やら、

自分の表情チェックを試みている。

 

思い返せば、鏡を見る機会は

朝に顔を洗う時と、職場のトイレ、歯磨きやドライヤーで髪を乾かす時と、

朝・昼・晩の1回ずつになっていたような気がする。

 

さて、鏡を見る回数を増やした結果は...

「え、こんな所から毛が生えてる」

「こんな所にこんなシミあったっけ?」

「うわ、今ヒドイ顔をしてた」

など、所々に感じる瞬間がある。

 

色気を出すことを目的としているのであれば

正解なのかは分からないが、

"自分磨き"という点では、

これは良い効果なのでは...?

 

ある日私がこれまでよりも輝いて見えたら

こっそり、ちゃんと、教えてね。

あぁ、疲れたよ~

もう何もやる気でないよ~

なんて毎日を過ごしていたら、

何も更新しないまま2月が終わる。

 

書きたいことは何個かあるのに

やる気が追いつくことができない...。

とりあえず、僕は毎日楽しく生きています。

 

 

2月に一番興奮した話をしよう。

それは、電車の中で朝井リョウに遭遇したことだ。

えっ、ここの駅で?って感じの駅だったけど、

私の目の前でドーナツクッションを颯爽と取り出し、

その上に座ったのは確かに朝井リョウだった。

 

それにしても、クッションを取り出す早さは素晴らしかった。

クッションを敷く人なんて珍しいのに、

さぞそれが当然かのような、スムーズな動きだった。

 

ちなみに私は彼がなぜクッションを敷いているのか

理由を知っている。

実は少し前まで、「時をかけるゆとり」という

エッセイ集を読んでいて、そこに恐らく答えがあった。

 

その理由が私の認識と合致しているのであれば

ここで明かすのは彼の辱めになるので辞めておくが、

初対面なのにそれがわかってしまう面白さも一人で感じていた。

 

クッションの次に、クッションと同じくらいの早さで取り出したのは

分厚い小説。あぁ、脱帽。

本当に小説家なんだね。変な人じゃなかったんだね。

ここで私が朝井リョウの小説を読み始めたなら

彼はどんな反応をしただろう。

でも、もしもあの時「時をかけるゆとり」を持っていたとしても

私は彼の前でそれを広げることはできなかっただろう。

 

彼はエッセイやテレビで自分自身を卑下しているんだけど、

実物はスタイルが良くて、鼻が高くて、

お洒落には疎そうだったけど、やっぱり知的に見えた。

 

これまでは古本で彼の本を購入していたけど、

次は新刊を買ってみよう、そうしよう。

 

 

少し難しく考えすぎたかな
人生は思い通りにはいかないと
誰かの言葉が確かだとしたらそうだな。

価値観だとかなんてもんはさ
多少は違っていても関係ないよ
そこに愛があればさ
だけどその愛ってなんだろな
いつから始まって、変化していくんだろう

あの最後の背中は
これが最後であると、
少しそんな気配を感じて
僕は哀しみの目で貴方を見たけど
気付くハズもない
だってすぐに人混みに紛れて
街の喧騒に隠れてしまったから

雨が雪に変わる夜
僕の恋心も一緒に
溶けて消えることができたなら。


あぁ、もうなんだかやんなっちゃうな
最近よく、モノを擬人化して考えちゃうな
例えば紙に生命があるとして
トイレットペーパーとして生まれたのと
年金手帳みたく大事に保管されるような紙に生まれたのでは大きな違いで

ましてや、紙幣に生まれたとしたならば
大きな価値さえも手に入れて大切にされちゃってさ。

それは人間社会にも置き換えられるような気にもなっちゃって、それが運命だとしたならば、なんて思考が壮大になっちゃって終わりはなくなる。

何で私は今ここに辿り着いたんだろうって突拍子もなく考えるけど、これから向かう未来のことも考えなくちゃいけないのにね。なんか、超現実主義者なのか、どうも未来のことは想像ができなくて困る。

風邪をひいて怠い日は

いつもの景色が暗く見えはしないだろうか。

シャドーがかかったような、

一つ照明を落とした感じ。

 

なんだかボーッとしちゃって、

いつもはスマホに落とす目線も

キョロキョロ キョロキョロ 左見右見。

駅のホームで間を1つ空けて座ったサラリーマンは

氷結の大きい缶を写真におさめていた。

ツイッターにでも載せるのだろうか。

 

仕事終わりの一杯を生き甲斐のようにするオトナは

いつの時代も変わらない。

私は酒の代わりにお菓子を頬張る。

風邪をひいても食欲が減らないのはなんなのか。

 

昔は一晩ちゃんと寝れば治ったのにな、

と考えながら、三日目でようやく治った。

もう本格的に若くはないようだ。

二日目になんら回復しない身体には

むしろ不安を覚えたくらいだったが。

(このまま突然死するのではないか、と。)

 

 

今回の風邪で学んだことは

「リポビタンDとポカリスエットを割って飲むと効果的」

ってこと。

 

嗚呼、身体は資本。

 

朝日新聞が出している「GLOBE」が好きだ。

きっかけは覚えてないんだけど、

コラムが満載だから好きになったのかな。

 

新聞は月1回の発行なのだが、

今月のテーマは「100歳までの人生設計」

 

2015年に50歳だった人の10人に1人は100歳まで生きて、

2007年生まれの半数が107歳まで生きる

との予測もあるらしい。

 

金さん銀さんがすごい話題になったことは

当時子供だった私でもはっきりと覚えているのだが、

現代においては珍しくもなく、

わずか20数年で、寿命はどんどん伸びているらしい。

 

そんな中で、高齢者の孤立や孤独も進み、

経済的にも困窮したり、認知症などの病気で

周りに迷惑をかけるから、と安楽死を選択する人もいるという。

(安楽死を認めているのはオランダ、ベルギー、スイスなど一部の国のみ)

 

安楽死を選択することや孤独に関して

色々と考えることはあったけど、

最終的には経済面でどうしていくのか気になった。

 

 

 

今の日本の制度のままだと、

「年を取っても働き続けて得る収入と公的年金の2本柱」

で、経済面を備えるしかないと括ってあった。

 

なのに、AIによって仕事が人工知能に奪われる

とか言っちゃって、不確かな世の中だね。

不確かなんていつの時代もそうなのか。

 

もうどうなるかなんてわからないからさ、

ポジティブに、周りの人の幸せを考えられる人間でいよう。

愛される人間でいよう。

 

 

誰かから愛されることは素晴らしいことである。

そもそも人間は「誰かから求められる為」に生きている。

だとしたら、「愛される」ことはイコールなはずで。

 

だけど、愛されるだけじゃダメなのは何故だろう。

なんで、それだけじゃ満たされないんだろう。

なにが足りないのだろう。

愛されたいと願った筈なのに、

どうして私は遠ざけたんだろう。

 

傷つけることで、これほどまでに罪悪感を伴うのならば

いっそのこと受け入れればいいのにね。

どうして私は…

 

最近知り合ったフランス人と話していると

「友達は結婚していて~」というフレーズがちらほらと。

 

一般的に考えれば、なんの違和感もないフレーズだけど、

私たちはゲイなわけで、つまりは同性愛者であるわけで、

その友達も、ゲイのフランス人の友達のことを指している。

 

これまで「結婚」という価値観は捨ててきた、というか、

"できないこと"だと考えてきたけど、海外では一般的とは言わないまでも

何もおかしくないことなんだと知った。

 

調べてみると、イギリス、カナダ、ブラジル、アメリカの一部の州など、

世界で24ヶ国で同性婚が認められているんだとか。

ゲイでありながら、その事実を知らなかった無知具合も恥ずかしいのだが、

日本は先進国でありながらだいぶ遅れているのだな、と。

 

2015年に渋谷区で同性パートナーシップ条例なんぞが施行されて

話題になったけれど、日本で同性婚が認められたわけではなく、

結婚に相当する関係と認められるけど、法的拘束力はない。

 

それでも、私が10代半ばで思春期だった時、

ゲイであることを自覚しながら、どうしたらいいのか

何もわからなかった10年前と比べたら、確かに同性愛が

許容させるようにはなっていて、

日本でも少しずつ進んでいっていることは確かだけどね。

 

結婚に関して書いたけど、

その前に、結婚するに値する殿方さえも

見つけられていない私は

まだしばらく日本の制度で間に合うようである...

 

 

 

電車が遅れる
戸惑う 調べる
なんとか間に合いそうな
そんな気配
ギリギリ は自分の中での闘い
ミッションに変わる

乗り換え間違える
戸惑う 調べる
まだ間に合いそうだ
東京の電車はヒッチャカメッチャカ
騒々しい が役に立つ

目的の駅に着く
ラストスパート 最後は持久走
トライアスロンのようだ
身体が重い を実感する

タイムリミット5分前
私はこのミッションをクリアした