『伝習録ー「陽明学」の真髄』(吉田公平)。
「「伝習録」は、中国近世思想を代表する王陽明の語録である」。
本文(397頁)は、3月25日の2度目の日本大学卒業式に向かう車中で何を読むか考えていた時、4月からの某大学院のLーRepの講義で昨年度のシラバスに紹介されていた参考文献を重点的に読むかどうか、一般書で通読を終えていない本にしようか迷っていた時、参考文献一冊、法律関係の雑誌の他に鞄の中に入れて行った一冊。
26日、富山へ向かう車中で読了しました。
本書については、林田明大先生との出会いの中で、知ったもの。
様々な本に参考文献として紹介されたいたもので、読み進む進捗は遅々としたものがありましたが、通読にはいい機会になりました。
「解説」から始まるスタイルは、さながら梗概のようで、初心者に近い私にとっては、取っかかりやすく、すでに読了していた部分も改めて読み、通読までにいたりました。
その中から付箋を貼ったところを中心に、自分自身の備忘録も兼ねて、ブログにおとして記録することとしたいと思います。
本書は、1988年(昭和63年)6月に刊行されたものを文庫化されたもの。
まず、目次をあげておきます。
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解説
伝習録
1・陳九川の記録
2・黄以方の記録
3・黄修易の記録
4・黄省會の記録
5・銭徳洪・王幾の記録
6・黄以方の記録
7・銭徳洪の記録
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十分咀嚼しているかといえば、心もとないところもありますし、読了してからかなりの時間も経過しているので、気になったところをいくつか拾って書き記しておきたいと思います。
「銭徳洪・王幾の記録」より。
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「良知が完全であることを確信すること」
良知はもともと意図して理解するということはないのに、今は逆につとめて理解しようとしたり、もともと理解しないということはないのに、今は逆につとめて理解しようとしたり、もともと理解しないということはないのに、今は逆に理解しないことがあるのではないかと疑いをいだくのは、ひとえに良知を確信しきれないからである。
(P240)
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