『人間ざかりは百五歳』(大西良・平櫛田中)。
「老いるほどに人は自在を得る」。
本書(本文210頁)は、1979年11月に刊行されたものを「読書のすすめ」さんが復刻された、ドクスメ・レーベルの一冊。
当時の時代背景をそのままに、復刻されたもの。
「読書のすすめ」さんのおすすめにあがらなければ、私自身、気づかなかった一冊でもある。
「読書のすすめ」の清水店長、そして小川さんにまず感謝したいと思います。
形式は二つのパートで各々が随想的に物事を語っていらっしゃる形式で、読みやすい一冊ではないかと感じます。
まず、本書の構成をリストしておきたいと思います。
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やっぱり「いま」が最高やな―大西了慶百五歳
長寿
日々好日
仏縁
平等
我
智恵
老病死
わしがやらねばだれがやる―平櫛田中百八歳
我が道
一処不住
人間苦
勲章
師
難中之難
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本書の中で気になった部分を順次取り上げていきたいと思います。
今回は、「やっぱり「今」が最高やな」から。
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「日々好日」
こうやってみると人間、人生に結構至極な時間などというのは、まったくといってないことに気づく。
いつも難儀なのである。
にもっかかわらず老人は、身体の難儀を厭うあまり「若い頃はよかった」と言い、世帯に苦労している若い人は、年寄りを見て「楽隠居は気楽でよろしいな」と羨ましがる。
愚痴である。
こういう愚痴が出てくるのはほかでもない。
人間に比較の目があるからである。
いまの状態と比較して、過去を想い、未来に期待する。
その比較がまた愚痴のタネになる。
人と自分を比較する。
比較の目で見るなら、人みんなそれぞれ違うのだという当たり前の事実に眼を向けるがよい。
(P36・37)
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(2024・1・11読了)