【読書日記】『華厳という見方』(玄侑宗久) | 「そば屋さのあんちゃん、息災け?」

「そば屋さのあんちゃん、息災け?」

稀有な病気をはじめ、人のあまり経験しないことを経験しました。
そんなことを織り込みながら、日ごろの読書を中心に綴っていければと思います。

『華厳という見方』(玄侑宗久)。

 
「「空」であるがゆえにすべてはつながっている」。
 

 

本書(本文147頁)は、PDF版の玄侑宗久氏の語りおろしの一冊。

あるYouTubeを視聴していて、華厳経を少しかじりたいと思って拝読した一冊。

講演を文字おこししたもので、内容の理解はともかくとして、頁数がそれほど多くないこともあり、すんなり読み通してしまいました。

内容の振り返りを兼ねて、ブログに残そうと思い、記事化するものです。

 

初版は2023年10月と新しく、講演も2020年のものが1つ、残りは2023年のもの文字おこししたものです。

 

まず、本書の構成をリストしておきたいと思います。

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はじめに

1・華厳という見方―鈴木大拙翁とともに

2・「覇権主義」を溶かす思想―華厳と日本仏教の教え

3・華厳の世界観―ロゴスとレンマ

4・縁起について―お釈迦さまの悟りとは

おわりに

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本書の中で気になった部分を順次取り上げていきたいと思います。

 

今回は、4・「縁起について」から。

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「荘子が教える「私」を放棄する方法

 

荘子は「私」というものを消す、「私」というものを放棄する現実的な方法として「已むを得ず」という行動原理を提案しました。

今、日本語で「やむを得ずする」というと、「いやいやする」というふうに受け取られますよね。

でもそうじゃないんです。

「進んでしたい」というのは、必ず自分の欲が絡んでいる。

しかし「なんとかやってくれないかなぁ」と頼まれて「やむを得ずする」のであれば、私の欲望は混じられないでしょう。

 

(P138・139)

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(2024・12・13読了)