『吉田松陰 人とことば』(関 厚夫)。
本書(本文53頁)はFacebookでの吉田松陰研究者である長谷川勤先生とのご縁に端を発する。
私自身が、松下村塾の末弟である山田顕義が創立した日本法律学校を前身として持つ、日本大学の卒業生であり、かつまた日本大学の学生として二度目の大学生生活を送っていることもありますが、長谷川勤先生が大学で「吉田松陰論」を講じておられるご縁から、至誠館大学吉田松陰研究所をご紹介していただいた、と言い換えてもいい。
本書は「萩ものがたり」シリーズの一冊。
その本文に収められた24の言葉から、いくつか自分の琴線に触れたものを中心に抜き書きし、ご紹介していければ、と思います。
今回は次の言葉から。
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「家祭には、私平生用ひ、候硯を神主と成され候様、十年余著述を助けたる功臣なり」
家族にあてた手紙<中略>の最後半部で、自分の首は江戸に葬ること、戒名を「松陰二十一回猛士」とすることを願うとともに、冒頭の一文をつづります。
前後、省略した文を補って大意を記します。
「実家の霊碑には、愛用の硯と昨年十月に差し上げました遺書をお供えください。
この硯ですが、購入以来、十年余りもわたしの著述を助けてくれた功臣であります」
このことばにある硯は、教えて二十歳のとき、藩命で初めて長州藩内の日本海岸側を視察したときに買い求めたものです。
それを十年間使い、ぼうだいな著述を残しました。
松陰を待っているのは打ち首でした。
にもかかわらず、愛用の硯を擬人化し、「功臣」と呼びかける。
なかなか適切なことばが見つからなくて申し訳ないのですが、そんな松陰のこころにあるのは、とほうもない広さ、深さ、やさしさ、すきとおった美しさ、ではないでしょうか。
(P50・51)
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(2024・2・1読了)