『維摩経入門』(大森曹玄)。
本書(本文196頁)は、「読書のすすめ」さんのお勧めの一冊としてあがっていた一冊で、販売冊数限定のもの。
著者の大森曹玄し老師は、母校・日本大学を終えていらっしゃる人物。
色んな経典で知っておきたいものがあるなかで、「維摩経」もその一つであり、新書の形態をとっていたので、さっそく落手したものです。
初版は1977年5月。
私が大学へ入学した年に出版された一冊でもあります。
まず、本書の構成をリストしておきたいと思います。
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1・維摩経の概観と理想世界(仏国品)
2・坐禅と出家(弟子品)
3・直心これ道場(菩薩品)
4・病を問う(問疾品)
5・解脱をさらに解脱する(不思議品)
6・ものを二つに見ない(入不二法門品)
7・菩薩の行とは何か(菩薩行品)
8・仏を見るとは自己を見ること(見阿閦仏品)
あとがき
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本書の中から気になった項目名や内容などをしばらく抜き書きし、ご紹介してきたいと思います。
今回は、7・「菩薩の行とは何か」から。
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「空とは何か」
人間というものは誰でも生と死の上に生きているのです。
今日、一日生きたということは、一日かかって死んだというのと同じことです。
私は今、NHKのラジオで般若心経について解説しています。
で、般若心経を講義するために、青年時代に聞いて感激した高神覚昇という人のラジオの名講義の速記を参考に拝見しました。
その中にいまの「生と死」ということを扱っていましたが、実にうまいことをいっておられます。
生きるということは死につつあることだと。
どうですか。
生きているということは、死につつあるということ。
生きるということと死ぬということとは矛盾する概念だけども同時存在すると・・・・・・。
一時間生きたということは一時間死んだということだというのです。
その論法でいうと、私は今日で七十年生きているのですが、過去をふりかえってみると七十年かかって死んできたということになります。
死につつ生きる。
生きつつ死ぬ。
その相矛盾するもの、お互いに他を否定するものが一つになって、人生というものを構成しているのです。
その相矛盾するものが一つになっているところに、空という行為が行われるのだと思います。
(P171・172)
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(2023・12・18読了)