『禅入門9 盤珪 法話・説法』(玉城 康四郎)。
横田南嶺猊下の講演・法話を足掛かりに。
こうした類のものは「逆のものさし講」の皆さまは、読んでいらっしゃるかも。
少しでも追いつきたいので。
昨今、盤珪禅師のことを、円覚寺管長である横田南嶺猊下が講演・法話をされておられたり、シリーズでのものもあります。
それを足掛かりに、よく出て来る盤珪禅師のことを知ってみようと、手に取ったのが本書(本文232頁)。
終戦前に、盤珪禅師を扱ったものとしては、、鈴木大拙『盤珪の不生禅』や『盤珪禅師語録』<岩波文庫>などがあります。
戦後はというと、多くは見当たらず、研究者筋は、前述のものが拠り処となるのでしょうね。
私もそれにあたって、今回のものに、と考えましたが、あらすじ的なものをまず抑えて、という処から、本書をセレクトしました。
本書の中から、個人的に付箋を貼った処を中心に、抜き書きしておきたいと思います。
-------------
「盤珪禅師説法 上」
身共が申す所の、仏心は不生にして、霊明な物で、不生で一切事が調ひ、不生で一切事が働く人は、人を見る眼が開けて、皆人々、今日の活如来ぢやと、決定する故に、讃岐の姥がやうに、二度すきと迷はぬように成りまして、仏心の尊いことを知りまする。
皆仏心の尊いことを知らぬ故に、万事に付いて、纔(わづ)かなる物にも迷ひを出かして、凡夫で居ることでござるぞいの。
(P176)
------------
(2021・4・3読了)
横田南嶺猊下の公開講座での講演や、シリーズまであります。
その映像を貼っておきます。
【盤珪禅師語録】は現在も番組継続中です(15回目あたりまで進んでいるはずです)。