さて。とはいうものの、将棋イベント?確かに、旦那さんはやります。やりますよ。でも私将棋できません。そんなところから、1~4回の会主催を経験することになりました。個人名でやるよりも、団体名でやった方がいいですよのアドバイスから「KOMAの会」を作ることになりました。

そして、いざじゃぁ1月30日が土曜日だという事実を知った日。私は覚悟を決めました。あの約束を実現するならここしかない。と。

何も知らないところからのスタートだった四日市将棋イベント。第一回目はチラシ配布も拒絶され、そのつどキツク言われるのは、大昔受けていたいじめを連想させるほどで寝込み、人を集めないととプレッシャーを感じ、それはそれは大変だった第一回目。回数を重ねて、ある程度立場のある人じゃないと相手にされない現実にうちひしがれ。それでも、回を重ねてきたことで言い出した。「そろそろ関東から上野先生を呼びたい」。

そしてその準備過程は、一度目を彷彿とさせるいろいろな声。将棋を指せない人だと知っているはずなのに「将棋をしたいから先生を呼んでるんだ。」「安く呼ぼうとしてるんだ」などの声。チラシを置きに行けば「ここに置くならそこはNG」。もうそれは過去の傷を彷彿とさせる闇。でもここを超えないと30日は迎えられない。

倒れそうになるのをこらえて、支えてくれている人達を信じて、動いた半年は、最後の最後に奇跡を起こしてくれました。きっと私のやり場のない怒りや失望や過去の傷に振り回された人たちは、よほど大変だったと思うのです。それでも一緒に動いてくれたこと、心から感謝しています。

特殊条件だった第三回以外では7人が最高だった会は最終的に15人を超える会になり、二日制になり、カラオケにも行く。何十年も見たかった景色がそこにありました。ただ同じ時間を楽しいねとふざけあったりして過ごすことが夢だというのはひょっとしたら想像できないかもしれませんね。

30日の朝、先生をお迎えし、イベントをし、たくさんの人が真剣に将棋を指している。講座を受けている。自分のできることでのおもてなしをして。二次会もして。

それが二日目の朝も続く。朝ごはんを食べて、一緒にでかけてお昼を食べて。今度は桑名で同じように初日のメンバーが来てくれる。

「あぁ。こんな暖かい中で。幸せだな」と。思いながらも。自分がさせないことでどうしても一人になってしまうことに一抹の切なさを感じつつも。

それまで感じたことの無い平和の中で、気が付いたら少し眠っていたらしく。目をあけたらみんなの注目を浴びていました。一瞬夢かと思いました。

自分が考えている以上に、将棋のイベントについては知識をもらい、それでも成功させなきゃというプレッシャーと、指せないことに対するふがいなさや、いろいろなものに縛られていた中で、みんながそこにいる。あぁもう、大丈夫なんだ。これからきっと。ここにいるみんなと一緒に、未来に進んでいける。

そう思ったら泣けてきてしまいまして。気が付いてない間に自分にとってそこは大切な居場所になっていたようです。

もちろん、みんながどう感じているかわからないですけど(失笑)

これからも大切にこの会が続いていけばいいなぁと思っています。