ご無沙汰しております。実は1月30日に上野裕和五段をお迎えして、将棋のイベントをしていました。
このイベントは私にとって特別な意味を持つのですが、どうしても書きたくなって今この文章を書いています。まず、誤解しないでほしいのは、過去の傷に捕らわれているというわけではなく。未来に向けて進むためにありのままにただ手が動くままに書いてみたいと思っていることです。誰かを非難するでもなく。
1994年1月29日。私は日本に帰ってきました。もう19時過ぎでしたから、日本の朝日を5年ぶりにみたのは、1月30日です。
そう。帰ってきた年のこの日を私は心待ちにしていました。自分のあるべき場所に、やっと戻れる。帰ってくる二日前には、電話で話していた。自分の信じている友人にただいまと言って帰ってきて、5年分の話をして。遊びに行って。普通の生活ができることを心から楽しみにしていました。
でも、そんな日は来なくて。そこから地獄のような日々が始まります。言葉の暴力であったり、実際の暴力であったりと形は様々でしたが、精神的に存在が認められない。けなされる、無視される。そんな日々を何年も過ごすことになりました。自力でなんとかしたときには中学生活が終わりそうな時で、高校や大学は地元を選んだために、意外と苦労することになりました。
過去は過去です。振り返らずにこれからを歩けばいい。・・何人の人にそれを言われ。そんなことは重々わかっていると反論したかったかわかりません。想像できるでしょうか。自分の頭は重々それを承知していても、嘔吐を繰り返し、気を失う日々。頭でわかっている=体の全てを制御できるではありません。何も怖いことはないと理解していても、高熱を出してうなされる状態がどれだけの地獄を味合わせていたかを。
この発作が実は2011年の段階でも治りきっていなかったことを。
ヒーリングをこの心の問題を解決するために選び、ヒーリングサロンを主催するようになり。ふとした不思議な縁で、発作をおこしかけていた私を見つけてくれた人がいたことを。
そう。それこそが、今回の主賓。上野裕和五段でした。
震災のチャリティーということで東京の将棋連盟でイベントがある。タイミングよく東京行きが決まって参加した日。人が多いと取り囲まれたことを思い出して発作を起こしてしまう私には、試練だった連盟。旦那さんの指導対局を待つ間。なんとか意識をそらして頑張ろうとうろうろしていた時にすれちがった。それだけのこと。そのあと、SNSでご縁をいただき、発した「いつか、四日市という空の下で、将棋のイベントをやったらその時は、0から作り上げたところを見せるから」という言葉。
何気ない言葉だったんだと思います。誰もそれを本気でやろうとは思わないでしょう。でも私は本気でした。なぜならば、私の発作が公共交通機関を使えない状態にしていて、遠出をしてでもイベントに参加させてあげることは、その発言当時無理だったんです。それならば、せめて。同じように行けない人のために。ここでできれば、何人か人が集まって、楽しんでもらえないだろうか。そこがスタートでした。
このイベントは私にとって特別な意味を持つのですが、どうしても書きたくなって今この文章を書いています。まず、誤解しないでほしいのは、過去の傷に捕らわれているというわけではなく。未来に向けて進むためにありのままにただ手が動くままに書いてみたいと思っていることです。誰かを非難するでもなく。
1994年1月29日。私は日本に帰ってきました。もう19時過ぎでしたから、日本の朝日を5年ぶりにみたのは、1月30日です。
そう。帰ってきた年のこの日を私は心待ちにしていました。自分のあるべき場所に、やっと戻れる。帰ってくる二日前には、電話で話していた。自分の信じている友人にただいまと言って帰ってきて、5年分の話をして。遊びに行って。普通の生活ができることを心から楽しみにしていました。
でも、そんな日は来なくて。そこから地獄のような日々が始まります。言葉の暴力であったり、実際の暴力であったりと形は様々でしたが、精神的に存在が認められない。けなされる、無視される。そんな日々を何年も過ごすことになりました。自力でなんとかしたときには中学生活が終わりそうな時で、高校や大学は地元を選んだために、意外と苦労することになりました。
過去は過去です。振り返らずにこれからを歩けばいい。・・何人の人にそれを言われ。そんなことは重々わかっていると反論したかったかわかりません。想像できるでしょうか。自分の頭は重々それを承知していても、嘔吐を繰り返し、気を失う日々。頭でわかっている=体の全てを制御できるではありません。何も怖いことはないと理解していても、高熱を出してうなされる状態がどれだけの地獄を味合わせていたかを。
この発作が実は2011年の段階でも治りきっていなかったことを。
ヒーリングをこの心の問題を解決するために選び、ヒーリングサロンを主催するようになり。ふとした不思議な縁で、発作をおこしかけていた私を見つけてくれた人がいたことを。
そう。それこそが、今回の主賓。上野裕和五段でした。
震災のチャリティーということで東京の将棋連盟でイベントがある。タイミングよく東京行きが決まって参加した日。人が多いと取り囲まれたことを思い出して発作を起こしてしまう私には、試練だった連盟。旦那さんの指導対局を待つ間。なんとか意識をそらして頑張ろうとうろうろしていた時にすれちがった。それだけのこと。そのあと、SNSでご縁をいただき、発した「いつか、四日市という空の下で、将棋のイベントをやったらその時は、0から作り上げたところを見せるから」という言葉。
何気ない言葉だったんだと思います。誰もそれを本気でやろうとは思わないでしょう。でも私は本気でした。なぜならば、私の発作が公共交通機関を使えない状態にしていて、遠出をしてでもイベントに参加させてあげることは、その発言当時無理だったんです。それならば、せめて。同じように行けない人のために。ここでできれば、何人か人が集まって、楽しんでもらえないだろうか。そこがスタートでした。