色々考えたんだけど、
マーケットアウトとして明確に定義された道
なんてものは
存在しないんじゃないかと思ってきた。
ただ単に、マーケットアウトとは、
プロダクトアウトに対するアンチテーゼとして、
その概念が存在するだけなのではないだろうか。
例えば。
巨人ファンがいて、アンチ巨人がいる。
巨人ファンというのは明確に具体的に定義できる。
どういう集合かがイメージできるし、
幾つかの属性でセグメンテーションできそうである。
しかし、アンチ巨人を定義せよと言われても、
アンチ巨人というグループに属性や特徴がある訳ではなく、
単に
巨人が好きではない、
もしくは巨人が大好きな人を理解できない、
ということでしかない。
巨人ファンの補集合がアンチ巨人なのだ
としか言いようがない。
もちろん狭義には、
マニアックに突き抜けた巨人嫌い、
みたいなものがあるんだろうけど。
或いは、野党みたいなものといってもいい。
与党がいるから野党であるんだけど、
野党としての道って、
ひたすら与党に反対するのが仕事で、
牽制機能ぐらいはあるかもしれないけど、
いざ政権をとったとしても、
ただ反対していただけで筋を通していた感じもないし、
実行力もないだろうから、
結局なんやらよう分からん感じのまま終わりそうな気がする。
野党として突き抜けているのは共産党だろうけど、
そういうことでもない。
で、結局、常に与党なのは、
常に与党と連立する公明党なんじゃないかって。
なんじゃそら。
ちょっとそれましたが、
それと一緒で、
これが理想的な完全なるマーケットアウトだ、
なんて道は現実にはなくって、
世の中はそもそもプロダクトアウトの流れでしか
成り立たないんだけど、
そこでの不都合、
供給者側の論理を押し付けることによる不都合
みたいなものにフォーカスした考え方を
マーケットアウトと呼んでいるだけなんじゃないかと。
顧客都合で進化し続けるプロダクトアウトのことを
マーケットアウトと呼ぶんじゃないかと。
なんて思ったりした訳だけど、
ちゃんと突き詰めて考えれば、
本当に「流れ」まで逆にできたりするのかな。。。