年末年始の素適な読書 | 素敵やん

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偉人たちの言葉って、感動するやん、素敵やん。


2008年も光を。


1年で何冊くらい読んでるんだろうか。




■1冊目

松井 道夫
好き嫌いで人事

★★★★★


しびれまくり。

激しく同意するノダ

quite agree

というヤツ。



自分でも人事をやりながら、

建前ではもっともらしい評価制度などを導入し運営しながらも、

人事は好き嫌いが一番いい

マネジメントとは、要は人間力

と思いながら日々やっている。



・「B to B」も「B to C」も企業側の論理。

 本来は起点も終点も顧客の側にあり、顧客が中心に存在する。

 従って個の都合で考え、その結果収益があがるビジネスを志向しなくてはならない。

 そのときに、守るべき会社、維持すべき組織、という考えは足枷になる。

 「地動説」がベースになる。

・給料をもらって働く社員は要らない。働いて給料をもらう人間しか要らない。

 社員教育という概念もない。一人の大人に対して何を教えるというのか。

・社員に給料を払っているのは会社ではなく、顧客である。

 顧客は社員の頑張りにお金を払ってくる訳ではない。

 頑張ることは、体調さえ万全であれば誰にでもできる。

・能力主義でも成果主義でもなく、実力主義=人間トータルの力量

・環境変化の激しさのなかでは、成功は失敗のもと。

 5年計画などは、世の中を甘くみている共産主義の戯言だ。

・決断の本質は捨てること。分かるものを捨てて分からないものを得ようとすること。


いずれ、こういう会社を創る。




■2冊目

奥山 清行
フェラーリと鉄瓶―一本の線から生まれる「価値あるものづくり」

★★★★☆


いうても、オッサン、男前やもの。


ものづくり、傑作、クリエイティブ、イタリア、デザイン、信じるもの。

起業、経営、組織、イノベーション。

ここでも、原理原則は変わらない。


「好き嫌いで人事」と、びっくりするぐらいに同じワードが出てくる。




さすがに日々色々あるので、

考え方としては、この原理原則が少しは身に染み付いてきた気がする。

自分の言葉で語ることができているような気がする。

でも、分かることとできることは、実際には随分と差があるもの。


自分の行動のすべてがこの原理原則に無意識で従っているように、

自然体そのものがそうなっているようになるべし。

シンプルにそう思う。



にしても、イタリアで暮らすのって、想像以上に大変そうだなぁ。。。

もちろん、諦めてませんよ。




■3冊目

貫井 徳郎
慟哭 (創元推理文庫)

★★★☆☆



なかなかの感じではあったが、

最近イニシエーション・ラブ を読んだばかりだったから、

同じような構成と同じようなオチが残念。


読んだタイミングが悪かった。

それさえなければ、もっと楽しめたと思う。



最近はミステリーやらハードボイルドやらも読んでいるが、

元々は、宗教とは何だろう、というところで薦められた本。


結局、弱い存在が何か自分の外にすがるもの、

というようなことなんでしょうか。

自分の裡なる神に祈りたいです。



宗教に関する読み応えという意味では、

高橋 和巳
邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)
高橋 和巳
邪宗門〈下〉 (朝日文芸文庫)

★★★★★


がお薦めです。



あとは、ベタですけど、やっぱり


遠藤 周作

沈黙


★★★★★


ですね。




■4冊目


小宮山 宏
東大のこと、教えます―総長自ら語る!教育、経営、日本の未来…「課題解決一問一答」

★★★★☆

このオッサン、歯切れがよくてなかなか面白い。

・大学とは「若い人が自分自身を知り、成長する場」である。

・腰掛けのような気持ちのヒトは要らない。

・教養教育が大事。

・「本質を捉える知」「他者を感じる力」「先頭に立つ勇気」を持て。

・自律分散ではブラウン運動と同じ。自律分散協調系を目指す。




しかし、自分が通っていたときには、

まったくといっていいほど素晴らしい学校には思えなかった。

施設や場所がメチャクチャいいのと、卒論とかの研究にお金がすごくかかっていたことくらい。


高校までの延長の授業か、

大学受験の科目になかったような新しい学科の授業か、

つまらないオッサンのだるい講義を聞いて試験を受けてレポートを書く、
ただただその繰り返しでしかなかった気がする。


教育者らしい教授なんていなかったし、

みんな狭い井戸の中だけで椅子取りゲームをしているようにしか思えなかった。


要は、つまらなかった。
情けないほどにくだらなかった。



その後、世の中をなめてしまって、

自分の生き方にすらシニカルな目線しか持てないような

ひねくれた底の20代を過ごした訳だが、

大学がそのきっかけにもなった気がしている。




しかし、この本に書いてあるような大学だというのであれば、

これは是非行ってみたい、と素直に思う。


当時から10年以上たって改革が進み、最近になってよくなったということなのか?

それとも、方針は同じだが、末端にいる生徒には何も伝わっていなかっただけなのか?

いやいや、オレがボーっとしてて気付かなかっただけなのか?

或いは、オレが大人になったということか?





確かに、自ら積極的に学ぶ姿勢があれば、

もっと気付けたし、もっと強烈に得るものがあったようにも思う。

今思えば、当時からインターネット環境が整備されていたし、

外人の留学生も周りに結構いた。

本当に色んなチャンスがあったし、何より時間が無限にあった。


しかしそれには、当時の自分は、青二才過ぎた。

まったくの別人に思えるぐらいに。




もったいないが、仕方のないことだ。





大体、大学には行くものだ、としか考えていなかった。


なぜ行くのか。

行ってそこで何をやるのか。

最初にもっと考えるべきだった。




あとは、大学生の頃に、もっと読書をすべきだったなぁ。


実りある30代にするゾと。