著者 ダニエル・キース

翻訳 小尾芙佐

出版 早川書房



若い頃に一度手に取ってみた作品だが、挫折しているのがこの本。

まだ知能が発達する前のチャーリイの経過報告はすべてひらがなで訳されている。

大人になるとひらがなだけの長い文章はものすごく読みずらい。

冒頭続くひらがなだけの章を読み切ることができなくて挫折した。

でも今回腰を据えて読み直すと、「なぜこんな素晴らしい小説を読まずにいたんだろう」と反省する。


IQが70に満たないチャーリイは大学の研究のモルモットとなることを決めた。

既にねずみのアルジャーノンが脳の手術を受けていて、成功している。

迷路を走らされるアルジャーノンは他のねずみにはない学習能力を発揮して、迷路の出口まで辿ることができるようになっている。

今度は人間で手術をしてみるということで、チャーリイが選ばれたのだ。


チャーリイの手術は成功して、様々な学問を習得していく。

それぞれの専門分野で名を馳せている教授達と語り合うと、彼らが尻尾を巻いて逃げ出してしまうくらいに。

やがては治験者である自分の研究に、自身も研究員として加わるがチャーリイはこの実験が失敗に終わることも分かってしまったのだ。


チャーリイが知能が発達したことで、彼は今まで自分がされてきた仕打ちの意味を察してしまう。

仲良くしてくれるから笑ってくれたのではなくて、それは嘲りの嘲笑だったのだと気づく。

また、恋もする。

しかし、心から愛する女性と肉体的絆を結ぼうとする時に、以前のチャーリイ、幼いチャーリイが亡霊となりチャーリイを苦しめる。

彼は一線を越えることができない。


チャーリイが人間の本質を知るにつれて抱く感情は、読んでいて胸が痛んだ。

一番守ってもらいたいはずの母には疎んじられて虐待され、そのままのチャーリイを受け入れている父は母と不仲になってしまう。

チャーリイは養護施設に入れられ、やがてパン屋で働くようになって自立はしていたが親とは何年も会っていない。

手術後に両親に会いに行くが、父はとうとう自分の息子だとは気が付かない。

母は年齢のせいもあり惚けてしまっているせいもあるが、チャーリイを受け入れてはくれなかった。

チャーリイが人目もはばからずに泣きながら帰る場面は、親の愛情を受けずに育った人間でなくてもチャーリイの痛みに同情するだろう。


この小説はSF小説のていをなしているが、ある純粋な人間の心の痛みの記録なのだと思う。

もちろん読んで面白いと思ったが、これは作り話なのだが、しかし生身の人間の嘆きと悲鳴の実録と言っても過言ではないと思う。

手術で知能が発達することは多分これからどんなに科学が進歩してもあり得ないと思うが、ここに描かれた“心の変遷”はとてもリアルで現実的なものだと思う。

人はこんなにも残酷な生き物なのだ。


最後にチャーリイは、チャーリイの唯一の友達のアルジャーノンのお墓に花束を添えてください、と語る。

しかし、その時チャーリイは手術する前よりも不安定な状態となっているのかもしれない。

働いていたパン屋に戻ることもできず、多分彼は養護施設に行くことになるのだろう。

はっきりとは描かれていないが、だからこそ悲しい結末に悲哀が増す。


どうかチャーリイにも花束を届けてください。

どこのどなたかでも、お願いします。