その16≪逮捕から四年目にして思うこと≫
人生に於いて、たった一度しか訪れることのない今日という日。
時計の針は決して左回りに進むことは無いのだ、という現実をこの生活を始めた時から一体、何度意識させられたことだろう・・・。
時間と自由というものを、軽視して生きてきたことを私は今になって烈しく後悔している。
ちなみに、ここで言う後悔とは、今回起こした事件に対するものとは違う。
確かに事件については幾度と無く反芻し、考えさせられる事はあったのではあるが、結局のところ、あれはヤクザの世界に自らの意志で足を踏み入れた結果なのだから、自業自得と言わざるを得ない。
あれは私の中では、どちらかと言うと後悔というよりは反省の部類だと考えている。
そうではなく、ここで私が言いたいのは、時間と自由というものの重要性に気付きもせず、未来への明確なビジョンもロクに描かず、 ”ただ、場当たり的に生きてきただけ” とも言える、その己の無能さに対する後悔なのである。
あくまで結果論でしかないのだが、あのまま娑婆で何も気付くこと無く、ただイタズラに歳を重ねていたかと思うと、私は心底ゾッとしてしまう。
まぁ、でも、逆に考えると、こんな所に堕ちて来るまで人生に於いての最も重要であろう部分をまるで意識しようともしなかったのだから、私という人間が相当のうつけ者であるという事実は受け入れざるを得ない。
後悔は決して先に立ってはくれないが、 「どうしてもっと早く気付けなかったのだろう」 と考えることしきりである。
私はふと思う。こうやってだらだらと文章を書いている間にも、私の出所は刻一刻と近付いて来ているのだから、それはそれで喜ばしい限りなのだが、それと同時に人生のタイムリミットも全く同じ速度で近付いている訳で、しかも、そのどちらが先に我が身に訪れるのかは誰にも分かりはしない。
それこそ、神のみぞ知るところ (私は無神論者ですけど) だ。
ふいに人生に残された時間なんてものは、有るか無きかもはっきりとしない、そんな曖昧な存在でしかないのでは?という気がしてくる。
終わりというものに対して、こちらが向かっているのか、それとも向こうが迫ってくるのか、時間というものの仕組みは良く分からないが、少なくとも今後の私の人生は、ただ待つのではなく自分から向かい続けるものにしなくてはならないと強く思っている。
受動ではなく、能動である。
だから 「失敗した時に笑われるのが嫌だ」 などと考え、やりたい事を躊躇するなど愚かにもつかない行為と私には思える。
何をしていようと、時間というものは一つの方向へと休むこと無く進み続けているのだから。
自分の内面を文章によって表現するという作業を下獄してから続けてきた訳だが、この行為は私に色々な事を教えてくれる。
外へ向かって書いている筈の文章は、そっくりそのまま自分の胸へと向けられるものであるからだ。
そして、その時々の心境は、如実に文章に表れている (私にしか分からないのかも知れないが) と思ってる。
手紙として全て発信しているので、手元にはほぼ何も残ってはいないが、十数年後にまとめて読むのがちょっと楽しみである。
まぁ、私がその時に腐った人間になっていなければの話ではあるが・・・。
殺人事件を犯し、警察署に出頭してから、既に丸三年が過ぎ、拘禁生活も四年目に突入したが、残された刑期 (満期まであと十三年くらい) の中で、私は何を考え、そして何を想うのだろう。
今のところ、私の中では経過は順調だと言える・・・・・と思う。
3月分・作業賞与金 → 2,447円
TOTAL →22,795円