その13≪最低な一ヶ月≫
師走に入り、ここ徳島でもかなり冷え込みが厳しくなってきている。
巷ではノロウイルスが猛威を振るっている様だが、風邪なんかは流行っているのだろうか?
私は、先日ちょっと酷めの風邪に見舞われてしまい、病舎へと放り込まれてしまった。
この刑務所は、熱が38度を越えると強制的に入病させられてしまうのである。
徳島刑務所へ収容された経験がおありな方(あんまり居ないと思うけど)ならば、必ず耳にした事がある筈なのだが、この刑務所の医務に対する噂というのは、聞こえてくるもの全てが耳を疑うようなものばかりなのである。
噂と言っても、これは殆どが実際に懲役達が身を以って経験してきたものばかりなので、噂と言うよりは実話と言った方が正しいのかも知れない。
私が聴いた話にはこんなものがある。
目の痛みを訴えて、診察してもらったところ、「じゃあ、ちょっと口を開けてください」と言われ、口の中を調べられると(何を調べられたのかは一切不明)、帰りしなにアスピリンを一錠渡されただけで診察が終了し、その後、約一年間、同じ様に目の痛みを訴え続けたにも関わらず、「水道水でよく洗うようにして下さい」という、どう考えても適切とは思えない処置を受け続けた挙句、一向に視力も回復しないし、痛みも和らがないことから、何とか娑婆の病院で診てもらおうと頑張った結果、先日それに成功したのだが、診察の結果は何と、目の水晶体が無くなっていたのだという。
水でいくら洗っても良くならない訳である。
その他にも、「咳が止まらない」と言って、のどの痛みを訴えたところ、「じゃあ、ちょっと前立腺を調べるから、パンツを脱いで下さい」と言い、ゴム手袋をした手でケツの穴に指を突っ込み、血まみれにすると、「うがいを沢山するようにして下さい」などと言ってみたりと、とにかく常軌を逸しているのである。(何でこんな事をしてしまうのかは、全く不明です)
ここまでは、人から聞いたものなので、中には誇大な表現が含まれているかも知れないが、今回私が入病した際にもちょっと驚くべき発言をされてしまったので、書いてみようと思う。
これははっきり言って、娑婆では考えられない事だと思うのだが、私は入病する直前に、熱が38.4度まで上がっていたので、先生に「薬を飲むとウイルスが増えると言われているので、飲まない方が良い」と、こう宣ったのである。
そして、その代わりに熱が38.5度を超えた場合は座薬をくれるのだと言う。
つまり、38.4度の私は対象外と言う訳だ。
このたった0.1度のボーダーラインは一体何を意味するのだろうか・・・・・。
しかし、このときの私は心身共に弱りきっていて、一刻も早く布団にもぐり込みたかったが為、それ以上は何も言わなかったのだが、これって適切な処置なんだろうか?誰か教えてくれ。
結局、私は、それからの5日間、息が白くなってしまうような部屋(当然、暖房は無い)の中で、薬も何も一切投与されないままの状態で、寝たきりの生活を余儀なくされたのだった。
ちなみに、風邪で入病した人は原則として、読書もテレビも筆記も一切禁止なので本当にただの寝たきりなのである。
まあ、でもお陰で「薬なんかが存在しなかった時代の人達は、いつもこんな風にして風邪を治してきたんだろうなぁ」などという、娑婆では決して味わえない貴重な体験をすることが出来たので、とりあえず、良しとしといてやろう・・・・・。
これでは、あんまり先生が居る意味が無いのでは?と、思わず考えてしまいそうになるのだが、その代わり、二度とこんな目には遭いたくないという強固な意志が生れたので、私が今後の風邪に対する予防策に万全を期す事は言うまでもない。
こうして5日間の後、無事に熱も下がり、昼前から工場へと戻され、ようやく普段通りの生活が帰ってきたかに思われたのだが、その日の午後にちょっとした悲劇が私を見舞ったのである。
私は現在、諸事情により”臨済宗”という宗教に入り、月に一回、座禅を組んでいるのだが、その際、座禅は会議室のような場所で行う為、まずは足が折りたたみ式の机を、部屋の隅に片付けなければならないのである。
そして、約一時間程の座禅が済むと、再び机を元有った場所に戻すという作業が行われるのだが、その際、私に手渡された机は足が完全に伸ばされておらず、ロックが掛かっていない状態だった様で、私が机を床に置いた瞬間に、足が再び折りたたまれてしまい、そのまま落下してきた机の角が、私の右足の親指の爪をピンポイントで直撃したのである。
何とも間抜けな話なので、余り書きたくはなかったのだが、何せ、その時の痛みは相当に強烈なもので、数秒後には爪は内出血を起こし、全体がどす黒く変色し、時間が経つにつれ歩行すら困難な状態になってしまったのである。
一時は、恥ずかしいから黙っておこうかなとも思ったのではあるが、余りの痛みに耐えかねた私は、事の次第を工場担当に告げると、オヤジは「すぐに医務へ行け」と言う。
前途したように、日頃から悪い噂ばかりを散々聞かされていた事がどうにも引っ掛かり、医務へ行くことは少々ためらわれたのだが、冗談抜きで本当に痛かったので、私は医務診察を受ける覚悟を決めたのだった。
片足を引きずりながら診察室へ到着すると、足を診た先生は開口一番「これは抜爪するしかないね」だって・・・。
最悪こうなるであろう事は予想していたのだが、何やらその前に誓約書に署名が欲しいのだと言う。
誓約の内容が箇条書きされていたのだが、その中の一つに「抜爪後に傷口からばい菌が入っても一切の責任は追及しないこと」と書かれていた。
これを見た時は、一瞬どうしようかなと悩んだのだが、今更後戻りも出来ないので、渋々サインを済ませると、先生はすぐさまペンチのような物を取り出し、麻酔も何もしないまま、爪を抜きに掛かった。
その際、激痛と共に、爪の内側に溜まった血は3メートル程吹き飛ばしたが、無事に?抜爪は終了した。
それから包帯などを巻き終えると先生は「痛み止めはいりますか?」と聞くので、「お願いします」と答えると、ポケットの中からアスピリンを4錠取り出して渡してくれた。その後、車椅子にせられ、自分の舎房まで送ってもらった私は、ようやく不幸な一日も落ちついたと思い寛ごうとして、ふと足のほうに視線を移すと、包帯が真っ赤になり、血がポタポタと水溜りの様になっているではないか!
それからちょっと経っても血は全く止まる様子がなかったので報知器(これを押しとかないと、オヤジは部屋の前で止まってくれない)を押し、事情を説明すると、またもや私は医務へと連れて行かれる羽目になった。
そして診察室へ到着すると、血で真っ赤に染まった足を診た先生は開口一番こう宣ったのである。「アスピリンは血液をサラサラにしてしまうと言われていて血が固まりにくくなってしまうので飲まないで返しといてください」と・・・・・。
「さっきテメーが痛み止めっつってくれたんじゃねーのかコノヤロー!」と、思わず突っ込んでやりたくなったのだが、先の刑期が長い私は、ここで怒るのは得策ではないという結論に瞬間的に達した為、グッとこらえる事になんとか成功した。
ちなみに、私と現在同房の懲役などは、医務のあまりに杜撰な対応に腹を立て、数ヶ月前に先生をぶっ飛ばしている。(勿論、こんな事をすれば懲罰である)。
おそらく過去にもこの様なケースが幾度と無く起きているのではないかと推測されるのだが、診察室の椅子は、それが武器として使用されないようにと、太い鎖でもって厳重に繋がれているといったありようなのだ。
抜爪した日から4週間が経過した現在、傷口は順調に回復し、ようやく入浴も許可された。
不幸にも今回は立て続けに二度も医務の世話になった訳だが、私の個人的見解としては、医務の対応は噂されている程は酷くなかったように思われる。
確かに、常軌を逸腹したかの様な言動は幾らか見受けられた気もするが、結果的には治っている(私の場合は)。
おそらく、杜選な対応をされた人というのは、された本人にも何かしらの原因があるのではないかと思う。
懲役である私が官の味方をするような事を言ってはどうしようもないのだろうが、普通に考えて幾度と無く患者からパンチやキックや頭突きをくらっていたら、性格が少々歪んでしまったとしても仕方ないのではなかろうか?
そして、何よりここは刑務所なのだ。
綺麗ごとなのかもしれないが、我々は所詮懲役なのである。
少々のことは仕方がないと割り切って我慢するべきだろうと思う。
今まで重ねてきた悪事を清算していると思えば安いものである。
そんな訳で、受刑生活始まって以来の最低な一ヶ月だったが、いよいよ今年も残すところ僅かである。
娑婆では今頃、街中クリスマス一色といったところだろうか。
刑務所のような男臭いところでは、そんな気配は微塵も感じることはないが、その分、早く娑婆に戻りたいと思う気持ちは高まる一方である。
今年一年は予定通り、無事故で過ごすことに成功しているが、謙虚な気持ちを忘れることなく、残りの日を過ごし、気持ちよく新しい年を迎えたいと思う。
10月分の賞与金 1867円 11月分の賞与金 1641円 トータル14113円