2017年8月のこと。
同時再建で挿入したエキスパンダーだが、ある日気付くと、右側が萎んでいる気がした。元々、低山低山が、低山盆地。
形成外科を受診したところ、エキスパンダーの中の食塩水が漏れなくなっていると。
「次回の手術は再建手術!アディオス」から、早くも3回目の手術となった。サイクル早すぎ。
とは言えど、命に関わることではないので、2ヶ月先の8月後半に再挿入手術となった。
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ここから、死に関わる記述のため、つらい方は読み飛ばしを推奨
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8月は、お盆で実家に帰り、介護施設で祖母に会い、楽しいひと時が過ごせた。毎回、帰省のたびに祖母に会ってはいたが、子供たちは風邪気味だったりして会わせられず、久しぶりの面会だった。
少し認知能力が怪しくなっていた祖母が「あれ?この子はmomoちゃんの子かい?そっかー可愛いのー」と何度も言ってくれた。その中で急に、「おばあちゃん、もうあんまり食べれんのよ」という言葉が気になったが、子どもが飽きてきたこともあり、早々に「また来るからね」と切り上げた。
実家から帰宅した1週間後、祖母が亡くなったという連絡を受けた。
前日、胃が痛いと医者が呼ばれ、父に少し容体が悪いが安定しているという施設の報告から、半日も経たずに、あっという間に逝ってしまった。
葬儀の日は、手術日だった。病院にダメ元で電話してみたが、キャンセルすると、さらに数カ月後となり、半年近く、エキスパンダーを挿入していないことになるため、再建の皮膚拡張が難しくなるかも。とのことで、手術日の延期はダメだった。
葬儀に出ることは叶わなかったが、急ぎ実家に帰って、祖母と会い、お別れを言うことは出来た。
我が家は、母が今で言うバリキャリだったため、祖母が母代わりだった。祖母に一輪車に乗せられ、畑に行ったり、稲架掛けを手伝ったり、幼い頃の記憶には、大体、祖母がいる。
反抗期、両親に対して反抗した記憶はあまりないが、甘えから祖母には、ひどい態度をたくさん取った。祖母はそんな態度の孫に対しても、いつも優しかった。
先週会った祖母より、一段と小さく見えた祖母。一輪車に乗せてもらっていた時は、大きな背中だったのにね。小さい身体で痛かったよね。よく頑張ったね。