Appendix B 巻末資料B

その5

 

 1893年1月14日の夜が明けたとき、国会閉会の準備はすっかり整っていました。

午前10時、閣僚会議を召集、国会での内閣の立場を通達し、その他の事前準備を指示しました。

私は新憲法を公布するつもりだと彼らに伝えました。

彼らは下院に出席しなくてはならなかったので、閣僚会議は一旦終わりました。

12時、国会を閉会。

議場は開会時ほどいっぱいではないのに気づきました。

傍聴席には多数の女性の姿がありましたし、それに改革党所属の議員たち数名がそこにいないのにも気づきました。

これから始まるトラブルの不吉な前触れのようでした。

 

1893年1月14日、国会を閉会して

議場のあったアリイ・オラニ・ハレを馬車で出ていくリリウオカラニ女王。

この後女王は通りの反対側にあったイオラニ宮殿へ向かう。

 

 

 宮殿に入る時、青の広間の入り口でウィルソンに会いました。

私は彼に近づいていって、準備万端かと尋ねました。

彼は「はい」と答えました。

それで私は「今日はしっかりね。」と言ってから青の広間に入って行き、座って大臣たちを待ちました。

 30分経っても彼らは姿を見せません。

さらにすこし経って、ようやくやってきました。

即座に彼らの顔つきから、何かがおかしいと気づきました。

数日前に私が計画したのは、玉座の間で、議員たちの目の前で憲法に署名するということでした。

その議員の大多数は新憲法の実現を目指して国民から選出されていたのです。

 

 私が国王に就任した当初から、新憲法を求めて王国中のあらゆる地域から嘆願書が送られてきました。

ハニ地区のヨセパ氏(注)、エヴァ地区のカウヒ氏、モロカイ島のナヒヌ氏、ワイヘエ地区のカネアリイ氏、コハラ地区のカマウオハ氏やその他多くの議員たちが何度も何度も私のところに来て、新憲法を要求したのです。

 

パーカー氏は大臣就任当初から新憲法を唱導していましたし、他の大多数の友人も同様でした。

私は彼らへの返事には慎重にも慎重を期していましたが、それでもパーカー氏に対しては常に「それ(新憲法制定)は良いことだ」と話していたし、彼の方でも、その時がきたらきっと私を支えるつもりだといっていました。

 

1ヶ月後、私は二人の議員に会いました。

そしてカメハメハ5世の憲法と1887年憲法から新しい憲法の草案を作り始めました。

完成後は10月までしまっておいて、10月にA・ピーターソン氏に手渡しました。

そしてもしも何か瑕疵があれば削除し、この国の国民にとって良いと思うような条項があれば加えて修正してくれるよう頼みました。

受け取った彼はまる1ヶ月間それを持っていました。

私の知る限りでは、彼は数多くの法律家にあたって草稿の要所要所に関して意見を求めていました。

原稿が戻ってきて目を通したところ何も変更されていなかったので、私はこれで大丈夫なのだと判断しました。

議会を閉会する一週間前にピーターソンに私の新しい憲法の序文を書いてくれるよう頼みました。

しかし閉会の日まで彼は一文も書きませんでした。

 

1月はじめ、私は近衛隊のノウレイン隊長、そしてウィルソン司令官にも、新憲法を公布するつもりであること、そして反対勢力がなにか暴動や反乱を起こしたら鎮圧する準備をしておくよう伝えました。

二人とも準備しておきますと請け合いました。そして私は絶対に極秘にすることを約束せて、ウィルソンに署名の日の玉座の間の計画を見せたのです。

パーカーとコーンウェルは大臣に任命される前に私に加勢すると確約してくれていましたし、ピーターソンは私の意図するものを理解してくれました。

コルバーン氏にはそのことを言いませんでしたが、彼の方ではピーターソンからすでに話を聞いていたのです。

彼らが私の心づもりを知るとすぐに、コルバーンが1月14日朝裏切り者の役割を果たしたようです。

彼は弁護士のハートウェル氏のところに行って私の意図するところを密告し、当然の流れでハートウェルから私にその案を捨てさせるよう強く働きかけるよう指示されたのでした。

 

John Franicis Colburn,   1859-1920

 

 

 とまあこういうわけで、私は青の間で長く待たされたのです。

外交団の面々が招かれていましたし、最高裁の判事たち、国会議委員、さらにフイ・カライアイナの委員たちも呼ばれていました。

フイ・カライアイナは、彼らを介して山のような嘆願書が私に送られていたことから、出席するよう招かれたのです。

大臣たちが到着すると、彼らに玉座の間は全て用意が整っていること、そして招待客たちは私たちの登場を待っていると伝えました。彼らを待たせておくわけにはいきません、と。

内閣から「女王がそのような手段を取るのは得策ではない」、「謀反の危険がある」などとあれこれ言われて、私は驚きました。

彼らが私をその気にさせていなかったら、私はこんな手段は取っていなかったのだと私は彼らにいいました。

彼らは私を崖っぷちまで誘導し、そして今や私に一人で勝手にその先に進ませようとしていたのです。

屈辱的でした。

 

私は言いました。

「国民に憲法を与えましょう、そうしたら私はその後どんな非難の矢面に立たされても甘んじて受けますから。」

ピーターソンは、「私たちは憲法をまだ読んでもいませんし。」と言いました。

私は彼に、丸々1ヶ月間あなたはそれを持っていた、と言ってやりました。

三人の大臣たちは、パーカーを使って私が決意をなんとか思いとどまるようにさせておき、その間にも揃って(ピーターソン、コーンウェル、コルバーン)政府ビルに行ってサーストンや彼側に私の思惑を知らせていたのです。

当然彼らは屈服しないよう言い含められました。

 

その6に続く)