~~~ 中 編 ~~~

 

 

 ある朝、いとこのサラ(リー夫人)が一人のご婦人からの手紙を持ってきた。

その女性は世界人形展示会のために人形を集めていて、子供達への慈善事業に寄付しようと展示会などに参加していた。

私もこれまでずっと若い人たちの福祉には尽力してきたので、「ハワイの人形をこの慈善事業に出してもらえないだろうか」というこの要望に喜んで答えた。

 

 私がお裁縫をしているのをみて従姉妹はことの外喜んだ。

可愛らしいお人形のための衣装を作るのは私にとっても楽しいひと時だった。

そのお人形はどことなく、外人との結婚でできたハワイ人の中にもいそうな感じだった。

 

どういうわけか、その人形はごく最近まで世間にお披露目されることはなかった。

だがこの場を借りて1897年12月4日付のボストン・グローブ紙の抜粋を書き写しておく。

特筆すべきことは、その新聞は以前からずっと筋金入りの併合推進派で、その前は併合反対派に対する好意的な論評はほとんどみられなかった、と聞いていることだ。

 

「ブルックリンのウィリアム・リー夫人が昨夜、ホテル・ソーンダイクで二日間開催された人形展示会で、集まった多数の女性、またちらほら散見する男性たちを前に、ニューオングランド肢体不自由児施設への支援目的とした非常に興味深い講演を行なった。

 

この人形展は、その規模と多様さにおいてこれまでボストンで行われた展示会の中でもずば抜けているが、展示物の中でも特に三体の正真正銘の王室人形、つまり王家から寄贈された人形は注目に値する。

二体は、エスキモーの赤ちゃんのミニチュアで、エスキモーの手で作られた。アザラシの毛皮製の完全な極地仕様の衣装を身にまとい、ビクトリア女王がご自身の秘蔵のコレクションの中から送られたもので、世界最大かつ最高のものと言われている。

 

三体目は、ハワイの元女王リリウオカラニから贈られたもので、リリウオカラニ自身によってあのハワイ女性の特徴的なゆったりした長いドレス(ハバードおばさんのような)を着せられ、華やかな社交行事には欠かせない花冠と花の首飾りも飾り付けられている。

元女王は自身の後継である姪にちなみこの人形にカイウラニと名付けた。

 

リー夫人は友人リリウオカラニについて語った。

リリウオカラニという名は「天を維持する」という意味であると彼女はいう。

そしてハワイの歴史や人々の独特な風習について奥深い説明をしてくれた。

先住ハワイ人は、世間一般が思っている以上にずっと知性に溢れ、高い教育を受けていると、彼女は力説した。

ハワイ人のほとんどはハワイ語の読み書きができ、また多くが母国語と同じくらいに英語も習得しているという。

ハワイ人の二心のなさや信じこみやすい性質がハワイにとって災いしてしまったと彼女は訴えた。

ある時期、ハワイには十戒以外の法律がなかったときもあった、と彼女はいう。

 

リー夫人は白人の振りかざす権力、そしてこの前の革命の際に先住民たちがほとんど影響力を持てなかったことを考慮すれば、奪い取られた先住民の権利のいくつかを取り戻すために新憲法を公布したいと望むことは当然のことだ、と見解を述べた。

 

さらに続けて、

 

『私は心の底からこう言えます。

 リリウオカラニ以上にいかなる時も敬虔で完全なキリスト教徒である人を知りません。

それに、彼女が自分を迫害する人々に対して意地悪な言葉をつぶやくのを聞いたことも一度もありません。

私はマサチューセッツ湾でも最も古い時期に植民してきた家系につながるアメリカ人です。

アメリカ国旗を愛していますから、もしも真っ当に揚げられたものなら、それが引き摺り下ろされるなんて絶対に見たくありません。

ですが、(ここでリー夫人は明らかに深い感情の込もった語り口で)もしもキャプテン・キッドやまた他のどんな海賊であれ、破壊するためにただの囮りとしてアメリカ国旗を掲げることがあるなら、我々は何をおいてもまず憤慨すべきです。

私は併合自体に反対ではないのですが、私たちの同胞がそれを実現するために行なった、そのやり方を見ると本当に胸が痛みます。

ハワイ人は自分たち自身の政府を持つべきだし、先住民たちはその政府がどうあるべきかについて、何か言いたいことがあるはずと信じています。』

 

と語った。

 

 

 

 1897年の元旦、華やかな祝賀会がウィリアム・リー夫人のお宅で開かれた。

そこで私は自分が主賓であると知った。

 

 このような場面で、政治的もしくは他の理由で投獄されたものがどのように感じるか、これは試練をくぐり抜けてきたものではければ絶対に理解できないだろうことをお察っしいただけるだろうか。

 

 リー夫人は友人が非常に多く社交界でも高い地位にあるので、自分が有力メンバーとなっている色々なクラブや団体から私が注目を浴びる機会を是非とも作ってあげよう、そうすれば私もとても楽しい気持ち良い人たちとたくさん出会えるはず、と思ったのだろう。

 けれど、ごくごく幼い頃からの記憶を辿っても、私は式典やパーティー、接待に慣れ親しんできたし、さらにはワシントンでの冬も経験したとは言え、それでも退位、8ヶ月に及ぶ投獄経験、そして政府のスパイや管理官に監視されながらの屈辱的な生活によって他人の視線を浴びることについ怯んでしまうのをなかなか克服できなかった。

 そういうわけで、リー夫人が私のためを思ってくれたことは嬉しかったが、それは彼女の自宅で彼女の個人的な友人たちに会うだけにとどめてほしい、公の場でのパーティーや宴会はご遠慮したい、と彼女に話した。

 

 それでも数多くの颯爽とした紳士たちや麗しきご婦人方、素敵な若い少女たち(そのうち二人は案内役として露払いを務めてくれた)がこの機会を光栄なことと祝ってくれたので、私も思いがけず人前に出てみて本当に良かった、と思えた。

 数名の若い客たちが音楽を演奏してくれた。

そのうちの一人サラ・マクドナルド嬢はあの可愛らしい案内役二人の姉妹で、なんともうっとりするような巧みなハープの演奏をしてくれた。

フランク・M・ゴス夫人、ファーウェル夫人、モース嬢、フォスター嬢が美しく飾られたリフレッシュメントテーブルで軽食や飲み物のお世話をしてくれていた。

 招待状はパーティ当日のその朝にならないと届けられなかったというのに、非常にたくさんの出席者だった。

その多くがボストンやブルックリン、さらにその周辺の街のとびきりの著名人たちだった。

 

(後編に続く)

 

このお人形が、リリウオカラニの作ったドレスを纏った

「カイウラニ」だそうです。

ドイツ製の陶器人形で、私たちがイメージする「ハワイ風のゆったりしたドレス」

とは違いますが、このころのハワイではこんなドレスが流行だったのかも。

(赤毛のアンの憧れた、膨らんだ袖、パフスリーブですね)

肩に花のレイをかけています。

ハワイ娘のお人形の感じがあまりしませんが、リリウオカラニも

「外人との結婚でできたハワイ人みたいな感じ」と書いています。

(原文では、the very pretty doll, that resembled somewhat some of my people who had intermarried with the foreigners. 

訳違ってますかね?間違っていたらご指摘ください真顔)

 

養姉バーニスはお裁縫が上手で若い娘たちにも教えていたと言いますが

リリウオカラニも針仕事が上手だったみたいですね!

現在は、ボストン近郊のウェナム Wenham にある、

ウェナム美術館に展示されています。

詳しい解説は、以下のブログ記事でお読みいただけます。

(写真もこちらからお借りしました。)

 

**** 10月17日 付記 ****

 

今日、Iolani Palace のFacebookページから流れてきた

「カイウラニ王女のお誕生日です」という記事で、

アップされた画像がこちら↘︎

(スクショでシェアしてます)

 

カイウラニ王女の赤ちゃんの時のお写真らしいのですが、

なんか、リリウオカラニがカイウラニちゃんと名付けた

このお人形と似てる気がします。ニコニコ

リリウオカラニもこのお人形見て、

可愛い姪っ子の赤ちゃんの頃を思い出したかもしれませんね

 

Hau'oli Lā Hānau,  e ke kamāliʻi wahine Kaiulani