~~~(後 編)~~~

 

 

この広大で豊かな国に足りないものなど何もない。

強いていえば、そこに暮らし豊かな国に成長させていく人間の数くらいなものだ。

なのに、この偉大な強国がわざわざ2000マイルもの海を渡って、哀れなハワイ人から広大な太平洋上のちっぽけな点のような島々を取り上げようとしている。

私たちのこのハワイの島々を何が何でも手に入れ、我が哀れなるハワイ人の国そのものを消滅させようとしている。

ハワイ人の多くは今では自分のものと呼べる土地をかけらも持てない。

 

それは何のためなのか?

 

国民の、国民による政府という偉大な試みの途上にある合衆国は、ただでさえ社会的、政治的な難題に苦労しているというのに、そこにまたひとつ、新たな人種問題を加えようというのだろうか?

 

奇抜かつ支離滅裂な外交・植民政策が、従来の断固とした外交に接ぎ木されることになるのではないか?

 

それとも、友好的で寛大であると同時に誇り高く神経質なほど敏感な民族が、どう見ても物質的にも倫理的にも成長する最良のチャンスを甘受できるにふさわしい民族なのに、この先さらにもう一世紀かけてもとても対処しきれないような社会の序列と偏見の重みに耐えきれず潰されてしまうことになるのではないか?

 

 

 旅路が東へ進むに連れ、鉄道の駅には人々が詰めかけ、どれほど停車時間が短くても構わずに、ひと目ハワイの女王をその目で見ようとすごい熱気だった。

ときにはその好奇心があまりにも厄介なことになり、侵入を防ぐために鉄道係員たちは列車のドアに鍵をかけて我々の車両の立ち入り禁止を余儀なくさせた。

 

こんなとき、グラハム夫人はただの楽しい道連れというだけでなく、非常に素晴らしい手腕を発揮した。

どんなにしつこい輩も常に巧みに、即座にかわすのだ。

彼女は背が高く容姿も優れ、どこにいても非常に人を威圧するような存在感があった。

それでいて振る舞いはとても淑やかで柔らかな物腰だ。

報道関係者たちに対していつでもいんぎんで丁寧に接するので、メディアの連中も私や私の旅行に関して彼女が語る談話にすっかり満足して引き下がり、情報を提供するこの戦略家にすっかり魅了されていた。

 ワシントンで私たちは別れた。

彼女はニューヨークへ向かい、私はボストンへ。

 

Elenor Kaililani Coney Graham Vos

(第10章 訳注⑦ 参照のこと

 

  

 首都には6日後に到着した。

雪が地面につもり、家々の屋根や車の上も覆うのをとても興味深く眺めた。

私たち一行には初めての光景だった。

我々の国では、雪は一番高い山の山頂に白いマントがかかったような姿くらいしか見ることができないのだから。

 

ワシントンの街のホテルには泊まらなかった。

この清教徒の街(訳者注:ボストンの事)で友人たちが私を待ち構えていたからだ。

私がもうじき来ることを電報で知らされていたので、私の願いに応えてジュリアス・A・パーマー船長がパーク・スクエア駅に鉄道で到着する私を迎えにきてくれた。

クリスマスの夜の9時ごろのことだ。

 

Julius Auboineau Palmer Jr.  1840-1899

 

列車は数時間足止めされたため、到着時刻よりも遅くなってしまった。

パーマー船長は私をパーカー・ハウスまで案内し、そこではいとこのウィリアム・リーが妻のサラ・ホワイト・リーと娘のアリス・リーとともに私を待ち構えていた。

あっという間に友人たちに取り囲まれた。

というよりむしろ私の家族に、といったほうがいいか。

キスや、抱擁そしてねぎらいの言葉を互いに矢継ぎ早に交わしあった。

 

それからまた歓迎のレイも受け取った。

私の祖国の島の恒例のやり方に倣ったものだ。

こんな風にして亡き夫の親戚たちは、私が異国にいるよそ者と感じさせないようにしてくれて、おかげで私たちも自分が美しき祖国ハワイから遠く離れていることをなんとか忘れさせてもらった。

よその国で、このような誠実な心と愛に満ちた手で歓迎してもらうことは本当に嬉しいものだ。

 

パーカーハウスで数日休んだ後、いとこたちと過ごすため、私はスターリングワース・コテージに移った。

ブルックリンのビーコン通りから入ってすぐのところだった。

 

***ブログ主 注***

パーカーハウスについては

以前、ゴールデンジュビリーの旅の途上で

カピオラニ王妃、リリウオカラニ王女一行が宿泊しており、

その時に解説で取り上げましたので参考にしてください。