訳注:①   リリウオカラニ 獄中の作品について

その1 Ku’u Pua i Paoakalani

 

リリウオカラニはイオラニ宮殿に収監され服役していた8ヶ月間で、

少なくとも7曲の歌を書いたと言われています。

 

第43章から、収監され、裁判にかけられ、判決が出る前の1ヶ月半、

彼女が極度の緊張と孤独、深い失意の中で過ごした様子が描かれていました。

もしかすると、この期間は曲を書くどころの話ではなかったかもしれません。

 

2月末に判決が出て、イオラニ宮殿の二階で

外部との交流を遮断された生活が始まります。

今般の「外出自粛」などのレベルではありません。

部屋から出ることも許されず、

付き添いの侍女以外とは話すことも手紙のやり取りさえもできない。

ハワイの運命を思うと、リリウオカラニにとってはどれほど苦しい、

重いStay At Homeだったことでしょうか。

 

やがて、3月、リリウオカラニは曲で心を表現することを取り戻していきます。

「Ku'u Pua I Paoakalani 」は、

以前もウルハイマラマについてのブログ記事でも取り上げましたが、

監獄生活で外部との交信を遮断されていたリリウオカラニのために、

ウルハイマラマの庭園で育てられた花を、

侍女のキティ・ウィルソンの息子、ジョン・ウィルソンが届けていました。

 

   虹晴れくもり雨虹晴れくもり雨虹

 

ジョンは当時24歳。

この4年前、リリウオカラニの経済的支援を受けて

米国スタンフォード大学に留学していましたが、

93年に女王が失脚・王政が転覆した後は学費を賄えず、

翌94年に大学を離れハワイに戻ってきます。

在学中に王党派からの接触があり、反乱に加わりますが、

彼の関与は限定的だったこともあり、逮捕とはなりませんでした。

父親のCBウィルソンが共和国側についたことも

有利になったのかもしれません。

リリウオカラニと母のキティがイオラニ宮殿の牢獄に入っている間、

彼は自分の立場を生かして、リリウオカラニに毎朝

女王の支援者からの贈り物を届ける役割を務めたというわけです。

ジョニーは、ハワイが米国に併合された後、

1920年に初めてホノルル市の市長となり、

その後も1929年からの3年間、

さらに1946年から54年までの8年間、市長に選出され務めました。

 

 虹晴れくもり雨虹晴れくもり雨虹

 

ジョンの届ける花には、ハワイの人々の

女王への敬愛と気遣いが込められていました。

花は新聞紙に包まれてあり、

その新聞紙は女王を支持する人々によって、

外の世界のニュースを伝え、人々の想いを伝えることのできる紙面が

注意深く選ばれていたと言います。

 

この歌では女王は

ジョン少年への感謝と親愛の情を歌った、という表向きの意味。

ハワイの歌には常にカオナという、

もう一つ深い意味が込めらていることが多いのですが、

この曲の場合は、Ku’u Pua (私の花)というタイトルにもある通り、

Pua という言葉に深い意味があるようです。

Puaは、花 と同時に、

子供や恋人など、愛する人を意味する言葉でもあります。

なので、花束の花と、ジョン少年の意味ももちろんあるのですが、

もう一つ、「ハワイの人々」を表す言葉でもありました。

 

以前、ロイヤルハワイアンバンドが共和国政府に反旗を翻し、

多くがクビになってしまったという話を書いた記事で、

「Kaulana Na Pua(名高き花たち)」

という有名な曲について触れました。

この名高き花たちとは、ハワイ人のことを意味していました。

 

これと呼応するかのように、リリウオカラニは、

Ku’u Pua i Paoakalani パオアカラニの私の愛しい花=国民たち

のことを歌った、とも受け取れます。

 

パオアカラニはリリウオカラニの私邸の一つの名前。

リリウオカラニの自宅に集うハワイの人々、という意味に読めます。

 

花が栽培されていたのは、ウルハイマラマの庭園でした。

ウルハイマラマという名は女王自身が名付けたもので、

そこに込められた意味は、

「土の中の暗闇から植物が光に向かって芽生え、育つように、

 ハワイの国にも光がもたらされるように」というものだそう。

 

1894年の10月10日の夕方、

庭園の公式オープンの前にここを訪れたリリウオカラニは

密かにプライベートのセレモニーを行っていました。

 

庭園の名前のプレートを入り口に置いた後、みんなで植物を植えていきました。

レフアの木、ハラ・ポラポラ、ククイ、ピリマイ、などなど、どれもハワイの人と女王への思いを象徴する植物ばかりで、

植えるときには年配のチャンターがその植物を讃える祝詞を唱えました。

そしてやがて、その場にいた人皆が、そっと声を合わせて合唱した曲が、

「Kaulana Na Pua」でした。

 

PUAという言葉には深い意味があり、

女王とハワイの人々では、それは共通の

暗黙の了解として伝わっていたようです。

 

 

 

いろんな歌手が歌っていますが、

ジョージ・ヘルムさんのバージョンで。

(今人気の歌手、ライアテア・ヘルムさんのおじさんです。

 1977年に若くして亡くなりましたが、

 歌手としてもハワイ人の精神的指導者としても有名な方でした。)

 

あ〜、ほんといい歌。

歌手も最高キラキラ虹星

 

 

長くなりますので、この項、次の記事に続きます。