~~~~(中編)~~~~
皆がすっかり静かになったところで、トランペットの最終ファンファーレが鳴り響いた。
そして三度、楽団が「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」(訳者注:英国国歌)を演奏した。
それを合図に、ビクトリア女王陛下がお出ましになった。
カンタベリー大僧正とその他4名の司教たちが女王の露払いとして、しずしずと定められた位置まで進んで行く。
そこは大聖堂の中央の、一般の人々からは最も遠い端だったが、私の席からは極めて近い場所だった。
だから私は思う存分彼らの様子を見ることができた。
ビクトリア女王は台座に上がり、その中心にある女王の玉座(訳注:③)へと進む。
そこにあるのは、飾り気のない古風な肘掛け椅子、かつては使徒ペテロご自身のものだったとも言われる椅子だ。
1887年 ゴールデンジュビリー式典
William Ewart Rockhart : 画
左から3列め、手前より三番めにリリウオカラニの姿が見えます。
その奥にオーガスタ・オブ・ケンブリッジ、
さらに奥にカピオラニ王妃の姿が。
玉座の真向かいに女王は立った。
臨席したすべての人々も起立し、そのまま女王が一歩一歩玉座に近づくのを見守っている。
着座の前に女王は小さく挨拶をする。
向かい側の台座からやってくる女王を待っていた人々が皆、それに応える。
品の良い黒いドレスをすっきりと着こなされ、ごく小さなボンネットを控えめにかぶっていた。
その一方で、女王の首のには一粒ダイヤを組み合わせた豪華なネックレスがぐるりとかかっていた。
女王が椅子に腰を下ろし、私たちも皆それに習って腰を下ろすと、礼拝が始まった。
それは例えようないほど感動的なものだった。
カンタベリー大主教のお祈りで式は始まった。
続いてTe Deum(訳者注:テ・デウム、「主よ、あなたを称えます」という意味の、もっとも普遍的なラテン賛美歌の一つ)が流れてきた。
そこには女王の心からの哀悼が込められて特別な味わいが感じられた。
というのも、この曲は女王の亡き夫君、イギリス王配殿下の楽曲であったからだ。
こうして宗教儀式に則った壮大なページェントの幕は上がった。
聖堂を埋め尽くす無数の参列者たちからは、大英帝国元首に全能の神の祝福がありますようにという祈りが湧き上がる。
まさにその時、聖堂の窓の一つから、神なる太陽の一筋の光が差し込んだ。
大聖堂の一番奥の観音開きの窓から差し込んできたその光は、頭を垂れて礼拝する女王の姿をひときわ眩しく照らした。
それは神の恩寵を表す美しき象徴であり、ハワイでの私の兄の戴冠式の際に起きた出来事を思い起こさせるものだった。
感動的な賛美歌の数々は、うねるような大合唱によって例えようもなく荘厳かつ美しく調和のとれた響きとなる。
巨大なオルガンの厳粛な音色は、この戴冠式へのひたむきな崇敬の念と相反するようなあらゆる邪念を打ち払い、その場を静めていった。
儀式が終わりに近づいた時、恵みぶかき女王陛下はご自身のご令嬢、ご令孫嬢たちから祝福を受け、一人一人に心のこもったキスをされた。
ご一同は女王の御手にそっと丁重なキスを返した。
続いてご令息、ご令孫息たちが同じく愛情と敬意を込めた祝福を送られ、それが終わると大聖堂を後にする行列が整えられて行った。
退出の順序は入場のそれときっちり逆で、最後に入ってきた人から先に出て行くことになっていた。貴族と貴婦人、公爵夫妻、王子王女たち、王・女王たちが順に最後まで外に出て、バッキンガム宮殿に戻って行く。
通りや歩道を埋め尽くす群衆たちの誰一人立ち去るものはなく、通り過ぎる私たちを今一度その目で見ようと同じ場所にいるのだった。
王族の行列の両側に押し寄せた人波は一人として減る様子も見えず、楽しげなお祭り気分の飾りつけは皆そのまま、あらゆる場所から旗や吹き流しがひらめている。
ロンドンがこれほどまでにきらびやかな晴れ着姿でいたことはなかっただろう。
バッキンガム宮殿に着くと、エディンバラ公が私を待っていてくださった。
カピオラニ王妃は英国王室の後継者、プリンスオブウェールズ(皇太子殿下)にエスコートされた。
宴会場の真ん中には端から端までのまっすぐに長いテーブルがあった。
これは世界各地から訪れた王や女王たちばかりの席だった。
その多くはこの戴冠式に参加するために遠路遥々旅してきた人たちだ。
それより少し小さなテーブルが二つ、長テーブルの両側にくっつけてある。
それらはこちらもやはり国賓として招かれた王子・王女たちのために用意されたものだった。
これらのテーブルのうちの一つ、その中央部近くに、私のエスコート役であるエディンバラ公アルフレッド殿下(現ザクセン=コーブルク公)が私を導いてくれ、座らせてくださった。
私の右手にはドイツの現皇帝。
このお隣さんはこの上なく社交的で、気持ち良い話し上手な方だったので、非常に活発な会話のやり取りが絶えることなく続いた。正直言って、エディンバラ公はあまりくつろいだ気分ではいられなかったと思う。
海軍総司令官の公は、各国王家からの訪問客たちに敬意を示すためにズラーっと並んだ士官たちや兵士たちの長い列のことがいつも頭にあり、彼らの護衛の任を解くことができるのは公の命令だけなのである。
多分そうしたことの若干の補足司令を与えるためだろう、数分、席を中座し、すぐに戻ってきたのだが、それでも昼食とそれにまつわる儀礼が終わっていないかと心配しているようだった。
それはまさしく海の男ならではの心配だし、自分の監督下にある人々が安心したり、任務から解放されたりすることへ彼が抱く責任感なのだと思う。
( 後編に続く )