訳注:⑤ 小松親王

 

正しくは、

小松宮彰仁(こまつのみや・あきひと)親王。

江戸末期~明治時代の皇族、

伏見宮邦家親王の第8王子として生まれました。

 

小松宮彰仁親王

 

 

伏見宮家は、室町時代北朝の

崇光天皇の第一皇子を祖とする

歴史ある親王家で、

後花園天皇をはじめとして

度々、嫡子のない天皇家に猶子として入り

系統を支えて来た皇族でした。

 

父親の伏見宮邦家親王は、

昭和天皇の皇后である香淳皇后、

(久邇宮良子さん)の祖父ですので、

今上天皇のひいおじいさんに当たります。

 

昔は、天皇と皇后の間に実子が産まれなかったり、

幼くして亡くなったりすることも多かったので、

側室を何人もおいたり、

また特に後継となる男子を何人も指名して

不測の事態に備えていたため、

親王の数が多かったんですね。

 

明治天皇も皇后との間には(皇后が病弱だったこともあって)

実子に恵まれず、

側室だった柳原愛子(柳原伯爵の娘)の産んだ

嘉仁親王を養子に迎えました(のちの大正天皇)。

 

ちなみにこの柳原愛子さんの姪っ子が、

歌人の柳原白蓮。

NHKの朝ドラ「花子とアン」の、

主人公・花子の親友、蓮子さんでした。

 

(どの国もそうだけど、王族・皇族の人物関係って

 ほんっと~~~にややこしくてこんがらがってて、

 掴むのに骨が折れる!滝汗

 でも面白い!! ラブ )

 

 

で、小松宮親王は、

天皇家の親戚の中でも最強と言える

この伏見宮家の一員で、

甥っ子の山階宮(のちの東伏見宮)依仁親王は、

ハワイのカラーアウア王が

姪のカイウラニ 王女との縁談を持ちかけたことでも

知られています。

 

 

1887年は日本では明治20年に当たります。

明治天皇は、

英国ビクトリア女王のゴールデンジュビリーに際し、

皇族の小松宮親王を出席させました。

リリウオカラニの文章からは、

Prince and Princess とある通り、

小松宮ご夫妻での出席となったようです。

 

実は小松宮親王は、前年の明治19年に

約1年間の予定で主に軍事視察のために、

妻頼子妃殿下(久留米藩主、有馬頼咸の長女)とともに

欧州に派遣されていました。

その日程の中で、ゴールデンジュビリーにも

日本皇族代表として出席となったのでしょう。

 

ところがですね、この一年間の欧州視察中に、

妻の頼子妃殿下がですね、ショボーン

ブランド物のドレスやら宝石やらメチャクチャ買い込んで、

大変な散財をしたそうなのです。えー?

 

そのことを明治天皇は激怒された、と、

宮内庁編纂の明治天皇の伝記である

「明治天皇紀」と言う書物に書かれています。

 

それ以降、皇族の海外視察に

妃同伴はNG事案となってしまったんですって。

 

2年後の明治22年、

有栖川宮夫妻が欧米訪問をした際には

明治天皇は妃の同伴を認めず、

有栖川宮妃殿下はご実家の加賀前田家という

非常に裕福な出の方だったので、

ご実家の前田侯爵が費用を負担したそうです。

明治天皇は非常に聡明で堅実な天皇だったと言われますので、

こんな風に見栄を張ったり

必要以上に華美なことをするのがお嫌いだったんでしょうね。

 

 **** **** **** ****

 

明治天皇紀 明治22年02月14日

 

有栖川宮威仁親王その宿願を聴され

再び欧州差遣の命を蒙るや、

妃慰子かねてより視察の希望あるをもって

同行せんことを欲す。

天皇すぐにこれを斥け

「婦女の洋行はいたずらに西欧の物質文化に眩惑せられ、

娯楽または奢侈の悪風を助長するに過ぎず」

と為して敢えて聴したまうの意なし。

 

先年小松宮彰仁親王、妃を伴いて欧州に抵しが、

いたずらに宝石・衣類等を

購いしが如き結果にかんがみたまうなり。

 

父有栖川熾仁親王さらにこれを請えども

ついに肯じたまわず。

よりて親王、自費をもって同行せしめんことを請うに及び、

天皇はじめて「そは勝手たるべし」との仰せあり。

これにおいておいて威仁親王の願意ようやく達し、

この年01月10日慰子の徴行して

侯爵前田利嗣夫婦と共に洋行するを許したまう。

利嗣は慰子の兄なるをもって、

慰子これと同行し

その費は利嗣をして支弁せしむることとせるなり

 

 **** **** **** ****

 

明治天皇の方針だったのかはわかりませんが、

この頃の皇族はどこも財政が豊かでなく、

お嫁さんを裕福な華族からもらって

嫁の実家が面倒をみる、というシステムだったみたいです。

 

小松宮家でも、

頼子妃殿下のご実家、久留米の有馬伯爵家が

結構面倒見ていたようですよ。

妃殿下だけが贅沢だったのではなく、

彰仁親王ご自身も、かなりの派手好きでワガママが多く、

色々とお騒がせの殿下だったそうです。

 

そんなお二人が、

ビクトリア女王のゴールデンジュビリーに出席されたわけですから、

これは相当頑張って、

衣装を誂えたのではないかと

私は推察致します。

(それが良いとか悪いとかでなくて。)

 

だって、リリウオカラニだって、

この時のヨーロッパ王族の皆さんのドレスや宝石が

あまりにも絢爛豪華で、クラクラしちゃった

と述懐しているのですからね。

 

日本のおしゃれ皇族ご夫妻だって、

負けるわけにはいかん!

と思ったことでしょうよ。

私には理解できますよ、頼子妃殿下・・・

 

小松宮頼子妃殿下

 

この頼子妃殿下の装束・ドレスや宝飾品などは、

妃殿下が亡くなられた後は

京都の仁和寺に奉納され、

現在も不定期で

京都国立博物館で公開されたりしているそうです。

チャンスがあれば見てみたいですね~。

ゴールデンジュビリーにはどんなドレスをお召しになったのかな?

 

 

小松宮彰仁親王家は、

赤坂の虎ノ門に本邸があったのですが、

別邸が浅草ともう一つ、

静岡県三島市にありました。

現在、三島楽寿園と言う名で公園になって

一般公開されています。

 

私の住んでいる所から

車で2−30分の距離にあって、

富士山の伏流水が流れる美しい庭園で有名なお屋敷です。

 

     小松宮家 三島別邸は 明治23年に完成しました。

 

私の一番幼い、保育園の遠足の記憶も、

この楽寿園だったのを思い出します。

三島駅から歩いてすぐの場所にあり、

街の真ん中にありながら

豊かな緑と水流に囲まれた

非常に静かで美しい公園です。

 

 

 

            小松宮家三島別邸内を流れる川

 

まさか私も

こんなところでハワイのリリウオカラニの物語と

繋がってくるとは夢にも思いませんでしたアセアセ

 

小松宮彰仁親王は、

1880年にカラーカウアが日本を訪れた際にも

一緒に写真に収まっておられます。

 

前列左が小松宮神王、   前列中央にカラーカウア王

 

ゴールデンジュビリーでリリウオカラニやカピオラニ王妃が

小松宮夫妻と会話をされたかどうか、

リリウオカラニの文章からは伺うことができません。

どうだったのかな?

 

 

今回、写真も多く

随分長くなっちゃいました。

自分でも熱量すごいと思いました。にやり