5月2日午後2時半にシカゴを出発した列車は、

時速60マイル(約100キロメートル)

というスピードでぐんぐん走ります。

(現代日本の電車でいうと、在来線の速度くらいみたいです。)

 

5月3日、鉄鋼の街ペンシルバニア州ピッツバーグの、

たくさんの工場の煙突や煙に目を見張り、

メンドーサという町で朝食、

ホースシューベントというのどかな駅で慌ただしい昼食。

 

午後6時半バルチモア着

出迎えのワシントン駐在のハワイ領事

ヘンリー・A・P・カーターたちも合流し、

 

午後7時半、ワシントンの停車場に無事到着。

全米に広がる線路のネットワークがここに繋がっている

非常に大きな、美しい駅舎でした。

 

駅から馬車でアーリントンホテルへ。

マクガイアーの日誌には、

 

「ワシントンのその夜の景色は本当に美しかった。

 大きな街灯が煌々と輝き、

 たくさんの商店には、男性用、女性用を問わず

 最新のファッションの衣類が美しく飾られている。」

 

と、デザイナーらしい感想が記されています。

 

ワシントンには三日間滞在し、

リリウオカラニの書いているように

大統領夫妻から大変丁重に

心のこもったもてなしを受けます。

 

当時の新聞記事では、一様に

カピオラニ王妃の優雅さ、

品の良さを褒め称える内容が多いのですが、

特にドレスの美しさはワシントンの評判でした。

 

ホロクーと呼ばれる、

ゆったりとした、かつ体にフィットした

裳裾の長いエレガントなハワイ式のドレスが、

米本土で紹介されたのは

この時が初めてではないか、とのこと。

デザイナーのマクガイアーも

さぞ誇らしかったことでしょう。

 

もう一つ、

リリウオカラニにも強い印象を与えたた

マウントバーノンの訪問でも、

カピオラニ王妃とハワイ王家一行は

マウントバーノンを守る人々に強い感銘を与えています。

 

外国人であるハワイ王家一行が、

終始非常に敬虔な様子で沈黙し、

建国の父の眠る土地へ心からの敬意を示している一方、

ほかのアメリカ人観光客たちが

軽薄な騒がしさでドタドタと見物している。

 

カピオラニ王妃が「どうかお静かに」と要望されたその姿に、

「マウントバーノンを訪れる人は、かくあるべし」と

保存協会の女性たちの深い感動の言葉が伝えられています。

 

首都の様々な人々の中に感動を与えて、

ハワイ王家一行は次なる地、ボストンに向かいます。