2回チャンスに恵まれたけど
2回ともダメになってしまった。

子宮外妊娠の卵管切除オペ後も
流産後も出血が続く。

出血が止まって
生理終わってからの診断で問題ないと
確認されないと次の妊活ができない。


1回目の子宮外妊娠のときも
落ち込んだけど、2回目の流産は
自分に原因があるのではと責めた。


『自分は自分、自分の人生は
 人生で豊にしていく』と決めてた。


だけど…歳を重ねるごとに
周りの様子や目が気になるようなった。


この当時、1番苦しく感じてたのがSNS。
アップされる友達の幸せそうな
家族や子供との写真。


見なければいいのかもしれないけど
見てしまう自分あせる

ほとんど知らない芸能人の妊娠
出産ですら、素直に喜べなかった。

この人いくつの時に妊娠した?
いくつで出産した?
他人の年齢ばかり気になって…


当時34歳。
病院に行くたびに
先生から年齢的に急ぐよう言われる。

冷静に考えれば医学的な助言。

35歳からリクスが上がる
私自身の身体に負担がかかる
出産が全てじゃない。
育てるのが体力的にもきつい…


言われることはごもっとも!!
わかるよ…でも
当時の私はその言葉がきつくて…ショボーン


次の妊活までの時間
どうしたらいいのか悩んだ。

どうしても『不妊』という言葉が
なかなか受け入れられず…
不妊治療に踏み切れない。


子供はほしい!
理想は2人だけど、1人でも授かれたら…

①片方卵管がないから
自然妊娠は長期戦で挑む?

当時は知識がなくて
排卵って左右交互にされている思ってた。
でも、そうじゃないんだね。


②意を決して、不妊治療の病院へ

名古屋に引っ越したとき
通院やHP、口コミ…できる限り調べて
病院のリストアップはした。
あとは行くだけなんだけど。


結局同じことばかり考えて悩んで
妊活は続けつつ、でも、
不妊治療の病院へは行けず…

気がつけば、誕生日を迎えて35歳になり
総合病院の先生から言われた
半年間の期間がまた過ぎてしまった。


やっぱり自力?自然妊娠は
私には本当に難しいと痛感ダウン
生理が来るたび、泣きたい気持ちだった。

それでも再びチャンスはやってきたアップ