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最近見聞きした、「17歳」といいう言葉について。
TVドラマ『不適切にもほどがある』のセリフ。
というか、ミュージカル仕立てのシーンで、登場人物達が歌っている場面だから、歌詞、といった方が適切かな。
若者たちが、時代遅れのおじさんたちをいじって笑う、というバラエティ番組に主人公のおじさんが出演、という設定でのシーンでのこと。
(肝となるテーマを語る段になると、突然ミュージカル風にみんなが歌って踊りだすという、レトロ風サービス演出 )
とにかく、おじさん世代が歌いだす。
♪おじさんが おばさんが
昔話しちゃうのは
17歳に 戻りたいから
おじさんが おばさんが
昔話しちゃうのは
17歳に 戻れないから ♪
あるある系の失笑エンタメ、ご苦労様、といったところ。
ここまでは前段。
「17歳」というキーワードは、村上春樹著 『街とその不確かな壁』 の作中にも頻繁に現れる。
teenagers やそれ以前、あるいは年齢はもっと上でも、若く繊細な感受性を持った者たちが、心を引き裂かれたり、大切な人から置き去りにされた深い喪失感によって、自らの現実世界を手放してしまう、そんなインナーチャイルド的存在のメタファーとして捉えることもできるのでは。
不確かな壁に囲まれた街は約40年前に刊行された『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の村上ワールドにも登場する。
moai 的には「でもハードボイルドじゃないよね・・・」が、当時の感想の大部分を占めていて、「そして、壁に囲まれた街って結局なに?」が読後もやもやと頭の中に渦巻いていたと記憶する。
(どこかに、ブログのメモが残っているはずだから、そのうち探してみることにしよう。)
オリジナルストーリーの『壁・・・』作品も発表されたそうだが、それは読んだことがない。
2023年版『壁・・・・』は今までの村上作品とは少し趣が違っていて、ストレートでわかり易い(多分)答え合わせが物語のあちこちに記述されている。
「街」の成り立ち、「壁」の謎とそれが意味するもの、あやふやな心の主人公にとって救世主的(?)なリアル系女性。などなど。
つまりこれは、著者にとっては数十年来、心に刺さり悩まされ続けた問題の締めくくりであり、けりをつけた、ということなのだろうか?
これらのすべての流れや、舞台装置が、本の半ばあたりから、私にとっては、ある物語を、しきりに思い出させることともなった。
つまり、新世紀エヴァンゲリオン の碇ゲンドウやらシンジやら、ATフィールドやら、その他もろもろを。
そんなこと言うと、村上ファンもエヴァ・ファンも共に怒るだろうなぁ。
いや、案外、同意見の人も多いのかも。
とにかく、moai の私見としては、人生の大半を費やして「壁」について考えを巡らせてきた村上氏が、 2nd インパクト後の地球で、いろいろやらかしてくれた碇ゲンドウ君と大きく重なる。
若くして亡くした妻恋し、とか、彼女の残した意識データとの一体化を渇望する一心で、とかの常人を超えた強い執着心で、使徒やらエヴァやら 2nd, 3rd インパクトやら・・・
何度も地球壊しちゃって!
あまつさえ、人類補完計画 って、パラノイア的な計画。(本気? と moai でなくても問うでしょう? )
まったく、男の人(むしろ男の子か?)ってやつは!
(と、心の中で大きく叫んでみる。ふふふふ )
村上氏は、もっと静かに、繊細な言葉を尽くして、「ぼく」の心の中の不確かな壁に囲まれた街(しかし実在する)で、失われた「きみ(或いはぼく)」を再び手に入れようとする。
「きみ」と「ぼく」の存在は、既に無意識の領域では、調和した存在として一体化している。
あとは、そこに辿り着くだけ。
が、最後にはリアルな世界に戻ってくる、そっと、音を立てずに。
多くの伏線や、メタファーに彩られた謎をほぼ全て種明かしして、長年かけて語られた『壁・・・』の物語が、安寧のうちに語り終えられる。
一方、シンジ君もマリ、という新たな女子キャラの登場により、力づくで、ATフィールドの呪文に囚われたゲンドウパパの世界をリアルな世界に引き戻してしまった。
そしてめでたく、アニメ開始から約26年に及ぶ、エヴァのストーリーは結末を迎えることができた。
こちらも本当に長かった。
オーバーラップしてるでしょ。
やれやれ、とにかく、一段落!
おじさんたちは紆余曲折の歳月を経て、それぞれの「17歳的なもの」を飲み込み、自らを癒すことができたのだから。
(ある意味、おばさんも)
🌥🌥🌥
『街とその不確かな壁』 村上春樹 著の memo
街は17歳の僕とひとつ年下のきみが心の中の安全地帯につくりあげた、秘密で特別な“実態のある場所”だった。 by moai
以下引用・・・
p37
「もしこの世界に完全なものが存在するとすれば、それはこの壁だ。誰にもこの壁を越えることはできない。誰にもこの壁を壊すことはできない」、門衛はそう断言した。
→(あの、アニメのATフィールド とやらを思い出す by moai )
p44
「そこ(壁のある街ではなく、「ぼく」が住んでいるリアルな世界 注by moai )では)人々はみんな影を連れて生きていた」
p59
「あなたの影も遠からず命を落とすでしょう。影が死ねば暗い思いもそこで消え、あとに静寂が訪れるの」
「そして壁がそれを守ってくれるんだね?」
「そのためにあなたはこの街にやって来たのでしょう。ずっと遠くのどこかから」
p66
高校生三年生になったばかりの十七歳の少年にとって、永続的なものごとについて考えを巡らせるのは簡単なことではない。
p127
「あんたは外の世界(リアル世界)にいたのが彼女の影で、この街にいるのが本体だと考えている。でもどうでしょう。実は逆なのかもしれませんよ。ひょっとしたら外の世界にいたのが本物の彼女で、ここにいるのはその影かもしれない。もしそうだとしたら、この矛盾と作り話に満ちた世界に留まっていることに、どれほどの意味があるのでしょう? あんたには確信があるんですか、この街にいる彼女が本物だという確信が」
「でも、そんなことがあるだろうか? 本体と影がそっくり入れ替わるなんてことが。どちらが本物でどちらが影か、思い違いをするなんてことが」
「あんたはしない。おれだってしません。あくまで本体は本体、影は影です。でも何かの加減でものごとが逆転しちまう場合もあるかもしれない。作為的に入れ替えがなされる場合だってあるかもしれない」
(主人公の私と私の影との会話。 注 by moai )
p153
愛する相手にそのように、理不尽なまでに唐突に去られるのがどれほど切ないことか、それがいかに激しくあなたの心を痛めつけ、深く切り裂くか、あなたの内部でどれだけ血が流されるか、想像できるだろうか?
何よりこたえるのは、自分が世界全体から見捨てられたように感じられることだ。自分がひと切れの価値も持たない人間に見えてしまうことだ。自分が無意味な紙くずになったように、あるいは透明人間になったように思えてしまうことだ。
p164
四十歳・・・考えてみれば、十七歳のときからもう二十三年間にわたって、ぼくはきみを待ち続けていることになる。そのあいだ、きみからはまったく連絡がない。沈黙と無は、相変わらずほくのそばにぴったり付き添っている。・・・・・・
そのようにして四十歳の誕生日をこともなく(誰に祝われるでもなく)通過する。・・・・・・
きみのことを変わらず考え続ける。心の奥の小部屋に入っていって、きみの記憶を辿る。きみのくれた手紙の束、一枚のハンカチーフ、そして壁に囲まれた街について綿密な記述が書き込まれたノート。ぼくは小部屋の中でそれらを手に取り、飽きることなく撫で回し、眺めている。(まるで十七歳の少年のように)。その部屋にはぼくの人生の秘密が収められている。他の誰も知らない、ほくについての秘密だ。きみ一人だけがそこにある謎を解き明かすことができる。でもきみはいない。きみがどこにいるのか知るす術はない。
p212
私の頭はすぐにそのときの記憶でいっぱいになった。
その夏、私は十七歳だった。そして私の中では、時間はそこで実質的に停止していた。私にとっての本当の時間はー心の壁に埋め込まれた時計はーそのままぴたりと動きを止めていた。それからの三十年近い歳月は、ただ空白の穴埋めのために費やされてきたように思える。
p288
「はいもうこの世にいきてはおりません。凍えた鉄釘に劣らず、命をそっくりなくしております」
(と図書館長の子易さん。こやすさん・・ by moai )
p556
「僕は思うのですが、街を囲む壁とはおそらく、あなたという人間を作り上げている意識のことです。だからこそその壁はあなたの意思とは無縁に、自由にその姿かたちを変化させることができるのです。人の意識は氷山と同じで、水面に顔を出しているのはごく一部に過ぎません。大部分は目には見えない暗いところに沈んで隠されています」
(と少年M**くんの兄 by moai )
p576
「彼の語る物語の中では、現実と非現実とが、生きているものと死んだものとが、ひとつに入り混じっている」と彼女は言った。「まるで日常的は当たり前の出来事みたいに」
「そういうのをマジック・リアリズムと多くの人は呼んでいる」と私は言った。
・・・・・・・
「つまり彼の住む世界にあっては、リアルと非リアルは基本的に隣り合って等価に存在していたし、ガルシア=マルケスはただそれを率直に記録しただけだ、と」
p587
ガルシア=マルケス、生者と死者との分け隔てを必要とはしなかったコロンビアの小説家。
何が現実であり、何が現実ではないのか?いや、そもそも現実と非現実を隔てる壁のようなのは、この世界に実際に存在しているのだろうか?
壁は存在しているかもしれない、と私は思う。いや、間違いなく存在しているはずだ。でもそれはどこまでも不確かな壁なのだ。場合に応じて相手に応じて硬さを変え、形状を変えていく。まるで生き物のように。
p594
行く手に砂州が見えた。美しい砂州だ。白い砂でできていて、夏草がたっぷり茂っている。そしてそこに彼女がいた。彼女は十六歳のままだった。そして私はもう一度十七歳に戻っていた。
p598
ねえ、わかった? わたしたちは二人とも、ただの誰かの影に過ぎないのよ。
p645
少年は肯いた。「ええ、そうです。あなたはかつて、あなたの影を壁の外に逃がしてやった。そうですね? そして今度はあなた自身がぼくをあとに残して、この街から立ち去ることになります。そしてあなたはぼくから離れ、壁の外にいるあなたの影ともう一度ひとつになるのです」
p648
「しかし、もし仮にぼくがここを立ち去ることを望んだとして、具体的にどのようにすればそれが可能になるのだろう? この高い壁に厳重に囲まれた街から出ていくことは、決して簡単じゃないはずだ」
「そう心に臨みさえすればいいのです・・・・・・・・あなたの心は空を飛ぶ鳥と同じです。高い壁もあなたの心の羽ばたきを妨げることはできません・・・・・・・・・」
(以上、引用)
マジックリアリズムとガルシア・マルケス、についての記述は、moai にとっては、本当は無い方が良かった、と思える種明かしかもしれない。
つまり、自分の独りよがりな推察は、独りよがりのままに残しておく、という余韻が moai は欲しかったので。
(これ ↓ )