闘病日記④
母の余命告知後2週間目
母「だいぶなれたよ」
私「副作用が強い薬だから、ちょっと大変だね」
母「痛みもだいぶ和らいだ」
私「良かったね」(左腰、背部痛、左下肢の痛み:ノートでは変化ないがっ)
私「何したい?」
母「〇〇とに会いたいんだ。久しぶりに。」
この世で唯一の旧友である方。
いつの間にか連絡していた様子。
私「いつ?会うのは?」
母「今日よ。休みでしょう。」
〇〇さんに再度確認して、地元までの1時間
車で行き、一緒に昼食をした。
久しぶりの外での食事
数口で終了してしまう
母「食べるより、会うことに意義があるから」と
旧友と談笑して過ごす。
会うまでの間、相当頓服薬を内服していた。
その頃には、麻薬のテープを開始。
頓服薬も麻薬で30分間隔で何回飲んでも可という薬
旧友に会うために、麻薬も積極的に使用し
朝から、4回くらいの頓服していた。
その薬の作用もあり、食欲が余計になくなっていた。
3時間くらい旧友と食事して話をして。
体力的に限界になり、帰路へ。
母「楽しかった。もう会えないままかと思った」
私「良かったね」といいながら
母の様子を観察して、往診医に電話で相談。
今から診察に行くねと先生。
観察していると、癌性疼痛の緩和が不十分であった。
先生に診察hしていただき、本人の様子を報告した。
まだ、麻薬を開始hして3日。
オピオイドローテンションには早いようなと先生。
私的には、思った以上にがんの進行が早く衰弱も早い。
先生「増量して経過観察にしよう」
私「ありがとうございます。また報告しますね。」
癌性疼痛の薬の使用方法はさまざまだが、一応ガイドラインに沿った使用方法で
使用している。
麻薬増量時は眠気、吐き気が一番つらい母。
水分摂取がやっとの状態。
この衰弱しかた。
死期が早いだろうなと思いながら、母の身の回りのことをして
寝るのを確認して帰宅した。
フェントステープ0.5㎎→1㎎に増量
いろいろ準備をしなきゃと思いながらベッドへ。
闘病日記③
仕事の延長上に母がいる
毎日、訪問看護師と私とで母の様子を看に母のマンションへ
交換日記を母、私、訪問看護師で開始
母の体調:痛みや食欲、排便回数、排尿回数、食事量、水分量の把握
入浴介助して入眠確認して帰宅の毎日
休みの日はひたすらか母のマンションで過ごし、母の要求をすべて受け入れる
癌性疼痛のコントロールは非常に難しく
本人の疼痛状況の把握を多角的に看て判断して
医師に指示をもらい
この繰り返しです。
平成31年/令和元年
4月12日
最期の受診し
先生:バイタルサインは大丈夫ね
痛みはどうかしら?
母:左下肢の痛みがひどいの
左腰も痛いな
あの薬飲んで5→2になるくらい
先生:いきないり強い薬は体に負担強いから様子みるね
母:わかりました
先生⇒私:どうかな。
お母さん。
私⇒先生:あまり効いてないような。
日中はやや傾眠の時間が増えてきてるような
食事量が確保できなくなってきたらご相談します。
先生⇒私:わかった
次回からは訪問診療ね。
私⇒先生:よろしくお願いします。
帰路へ
母:痛いのってとれないよね。
〇〇さんも最期まで痛いって言っていたのを思い出した
私:お父さんの時と違って、今はたくさんの痛み止めがあるから
苦しい思いはしないように調整するから大丈夫。
食事は?
母:そう
食べる気ないの
ブドウかな
私:わかった
買ってくるから
母:ありがとう
横になってるね
スーパーに買い物して母のマンションへ
母は寝ている。静かに過ごし、なんとなく母の荷物を整理開始とした
この時の鎮痛薬はトラマール3錠3×、頓服でカロナール(200)2錠
効かないだろうと思いながら自宅に戻った
心機一転!!!
今日までいろんなことがあり。
ずっとブログをお休みしてました。
一番のトピックスは
左小指がなくなってしまい、
現在も治療中です。
でも、ちょっと無理して仕事再開し
日々の生活に戻りつつあり
また書いていこうと思えた一日です。
風の時代になり、まだ流れに乗り切れてないかもしれません。
一人生活の不便さもある中、愛犬達のおかげで
どうにか踏ん張れたのだと感謝してます!!!
病気もあり、記憶にとどめておくことができないことも
あり、ブログを通して備忘録に使用と思います。
