引用
エンゲルスが科学の歩みとやら称してわれわれに示しているものは、じつは彼の精神の往還そのものにほかならず、それは科学の世界より出て素朴実在論の世界におもむき、やがてキビスをかえして科学の世界に舞いもどり、そこでふたたび純粋感覚の世界にふれんとするのだ。それに、たとえ彼のいうがままにいわせておくとしても、この思考の往きつ戻角つのていたらくの、どこにいったい弁証法的プロセスに似たところがあるのか? どこに、進展がみられるというのか? かりに一歩ゆずって、量的と考えられる温度が水の質的変化を生みだすものと仮定しよう。さあ、水が水蒸気にかわった。で、それから排気管に圧力を加えるだろう、排気管を持ち上げるだろう。それは空にのぼるだろう、ふたたび凍え、ふたたび水となろう。どこに進展がある? わたしがそこに見るのは循環であって、これは進展とはたいした違いだ。なるほど事はなしとげられた。なるほど水はもう排気鐘のなかにおさまっていない。が露となって、そとに、草の上に地面に、水はあるのだ。にもかかわらず、ひとがこの《場所転換》に《進歩》を見るのは、いかなる形而上学にもとづいてのことか?
『唯物論と革命』 サルトル著 多田道太郎 訳 サルトル全集第10巻 人文書院 20頁
この痛烈なエンゲルス批判は、サルトルの生真面目さの現れである。彼自身はナチスドイツとの戦いを経て、マルクス主義に深く傾倒したのだが、1950年代のソ連のありようも含めて、マルクス主義への絶対的な忠誠を持つ事はなく、むしろ「期待」の裏腹としての痛烈なマルクス主義への反省を、当初よりもっておいた。特にエンゲルスの『空想から科学へ』やその原点として『反デューリング論』において、弁証法という哲学上の認識手段としての運動にかかわる精神のあり方を一切無視して、弁証法を単なる科学へ落とし込めるエンゲルスの態度には我慢ならなかったようで、わたしもこの気持ちは良くわかる。
ヘーゲル哲学が、認識を直線的な思惟の感覚的なものではなくて、対象と精神の運動であるという事を、マルクスはよく理解していて、よって理念の実現というのは、自然の外面性に「精神の息吹」を与える人間の実践の発露である。
エンゲルスは何を血迷ったのか、客観に対する主観の限界を「近代科学」に解消して「世界を獲得した」と宣言しているに等しい。、
サルトルは後のスターリンのような権力者の在りようが生まれてくる当時の社会主義の限界を指摘することで、マルクス主義を発展させたいと願っていた。これがサルトルの生真面目さである。
これと同じような生真面目さは、シモーヌ・ヴェーユに垣間見ることができる。
引用
妹はかなり早い段階でそのことを見抜いていました。たしか30年代の初頭に、妹はその神話を全く一掃し、たとえレーニンとスターリンの人格が非常に異なるものであっても、彼らの行動の基盤となる原理は同一であるということを明らかにする数多くの論文を発表しています。
『シモーヌ・ヴェイユ ― その劇的生涯』
クロード・ダルヴィ 著 稲葉延子 訳
春秋社 109頁
「妹シモーヌの思い出」 アンドレ・ヴェーユ
時代は、戦争と世界分割という植民地主義と、生産第1の資本主義の狂乱錯誤にあり、世界を良き方向へ変えたいというのは哲学者たちの強い欲求でもあった。一時的にせよ、共産主義が希望に見えていた時代だが、思考の僕(しもべ)たる哲学者達は、その限界も見抜いていた。
限界とは、社会主義という思想の誤りではなくて、人間存在の限界のことであり、旧ソ連の誤りとは、現代資本主義の「正しさ」をけっして保障しない。旧共産圏の誤りは、今日「旧西側」の継続であるわたしたちの資本主義に大いなる教訓を残している。
サルトルやヴェーユの特筆されるべき生真面目さは、思想家である限り、理想への生みの苦しみから「逃げない」という事である。
日本の左翼など、エンゲルスが弁証法の難解さを切り捨てて、「科学的社会主義」と称してうそぶく「科学」という、サルトル的に言えば、一種の「形而上学」に酔いしれた擬似宗教教団にすぎないという事だ。
日本の共産党や社民党は、サルトルやヴェーユの生真面目さと大衆に対する責任感ではまったく足元に及ばないのであり、彼らが多くの支持を得られないのは彼らの哲学の貧困に起因している。
つづく