第1楽章の序奏の最初のトッティの和音が、なぜか「短調かな」と思わせるが、すぐにハ長調に移行する。
ハイドンの交響曲は躍動的で、ベートーベンの交響曲第1番を聴けば、ハイドンの影響は明らかである。ハイドンもベートーベンも本来的には「明かるい」性格で、深刻さはモーツァルトのほうにある。
三拍子の第1楽章というのも、多くはない。よって第2主題に、ワルツを持ってこれるのである。
しかし、第1楽章の終結はすばらしい和声展開を見せるのだが、ベートーベンならここからもう一ひねりするしつこさを見せるであろう。
第2楽章は午後の陽だまりに包まれて始まり、三連符の変奏へと移るが、短調になって、トゥティの強音が陽だまりに眠れる聴き手を起こして、驚愕交響曲の手法を再確認させる。
ハイドンの管弦楽法は、クラリネットがないのかと最近気がついた。近いうちに「ミニュチュワスコア」を購入して確かめたい。クラリネットは確かにモーツァルトの時代に登場したあたらしい楽器だが、その後のロマン派には欠かせない楽器となる。
わたしはフルートを吹くが、モーツァルトのクラリネット協奏曲が大好きで、いつかフルートで演奏してみたい。(ゴールウェイが録音していたと思うが。)
第3楽章、ここでメヌエットのトリルで聴こえてくるのは、やはりフルートとオーボエで、ここにやっぱりクラリネットがほしい。
いきなりの短調への展開はさすがハイドン。
第4楽章
モーツァルトやプッチーニのオペラが、人の心の移り変わりを表現して、不朽の名作になっているけど、そのような音形を数多く試したのはハイドンであり、その技巧を聴き取ることができる。
「フィガロの結婚」序曲とこのハイドンの97番の最終楽章をぜひききくらべてほしい。
新たな発見があるはずだ。
つづく