ずいぶんほったらかしにしています。もう少し時間をください。
が、現代音楽の記事は、どうも敬遠されるのでついつい後j回しにしてます。先日のウェーベルンの記事もほとんど読んでもらっていません。
なので、興味がわくようなアプローチをさせてください。
1900年代初頭のウィーンの芸実運動で
美術は「ウィーン分離派」
音楽は「新ウィーン楽派」
ですが、両者は人的にも交流があり、一体とはいえないけれど芸術の同時代の背景をもって刺激しあっていた。
まあ、アルマ・マーラー(作曲家マーラー未亡人)とオスカー・ココシュカの愛戯みたいな話しもありますが、
さて、「分離派」の筆頭はなんと言っても、
私の好みを2つ
1915年の「生と死」 クリムト
1909年の「ブナの森1」 クリムト
もう一つの「白樺」同様私のお気に入り、ヌードのテーマが多いクリムトにも風景画はある。
エゴン・シーレも面白い
1914年 「自画像」 シーレ
一方音楽の新ウィーン楽派の代表的3人
アントン・ヴェーベルン(1883年 - 1945年)
アルバン・ベルク(1885年 - 1935年)
だが、この3人も含めて、ロマン派と現代を架け橋していたのはやはり、グスタフ・マーラーである。
二重旋律、無調への挑戦、はマーラーにあっては「直感的な」レベルで、意図されていないが、晩年の作品はそのような可能性を秘めている。
だが、それを計画的に実行していくにはシェーンベルクの12音階の理論化を待たねばならない。しかし、彼らを導いたのはR・シュトラウスではなくマーラーである。
ところで、最後に、美術、音楽、そして建築、文学のすべてに関わったのはだれあろう、グスタフ・マーラー夫人 アルマ・マーラーである。
マーラー死後
アルマは、ウィーン分離派の画家、オスカー・ココシュカ
ココシュカが描いたアルマ ↑
と、禁断の同棲を始めるも長続きせず。
1915年に、グロピウスと再婚し、娘「マノン」が生まれるも、離婚。
このマノン・グロピウスにベルクはひそかな愛情を抱いていて1935年にマノンが19歳で急死すると、ヴァイオリン協奏曲を作曲して故人に「献呈」する。
アルマは、グロピウスと離婚後、最後の結婚を作家フランツ・ヴェルフェルする。
ちなみに、マーラーとアルマの次女
アンナ・ユスティーネ・マーラーは彫刻家となり、作曲家のクルネシェクと結婚したが、この夫婦がマーラーの未完の交響曲第10番のスケッチを保管したことが、1960年代に、デリック・クックによる第10番補筆版として日の目を見ることになる。
(当ブログ記事「未完成交響曲たち」参照)
そういえばマーラーのデスマスクを採ったのはロダンだ。
アルマは、決して性的に「多感」であったのではない。芸術家の「精神」に惚れ込んでしまう、その「精神」の尊さを見抜くだけの感性と知性を兼ね備えていたと言うべきで、それでも「比較」ではないが、彼女は終生「マーラー」夫人であり、それは他の男たちも認めていることは確かです。
一応、音楽、美術、建築、文学だから「四冠」ですけど。
どうでしょうか?
少し、ウェーベルンの音楽など聴きたくありませんか?