連載をしているテーマもあるのに、

なかなか書けない (´_`。)


今年 遣り残したことないように

頑張って、宿題をやらなければ・・・。



明日は、きっちり ブログ書こう。


しかし、やらなければならないこと あり過ぎると

やる気が失せる(笑)











毎年、年末年始に必ず思うこと。


私が、子供の頃、正月には 親戚中集まって

3が日、和やかに過ごした懐かしい記憶が回想される。


うちの親戚は多くて、 叔父叔母が9名 いとこが母方だけで

26名と大所帯。


子供同士で、メンコ カルタ カード遊び ビー玉 ボウリング

などなどをして、夜更かしして、遅くまで思い思いに遊んだもの

だった。

いとこのお兄さんやお姉さんには、いつも面倒をみてもらい、

子供同士で 親に頼らずに楽しい時間をもった。


お正月の一番の楽しみは やはり、お年玉だった(*´σー`)

叔父叔母が多いので、いくらになるかといつもドキドキだった。


しかし、少子化とともに、核家族化は進んでいて、

親子・姑 姑 嫁などが互いに干渉しない代わりに、

いとこ同士など、横の関係も希薄化してきたように

感じる。



もともと、大家族は、干渉する代わりに、互いに助け合って

暮らしていて、祖父母は孫の面倒をみて、

働き盛りの男は精一杯 仕事に集中できる。


祖父母も、病気になっても 家族が近くにいるので

然程、心配はない。


いろいろとシェアして、効率のいい暮らしをして

いたと思う。


住宅費・ 食費など生活に関わる家計も 経済的に

賄えた。


しかし、核家族化が進むにつれ、住宅にかかる費用も

それぞれが必要とするので、倍 3倍と負担が増え、

子供の世話を 両親がしなければならないので、

保育園 幼稚園への依存度が高まるが、それでも

子育て時間と労力がさかれ、仕事に集中できない

と 負担が増大する。


日本は、古より助け合い生きて行く、気風が

力だったような気がする。


核家族化は、まさに アメリカが日本に落とした


「核」家族 なのではないか。


今日は、このあたりで・・・。また、続く


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由来は、、アメリカがビキニで核実験を行った頃から流通し始めた。

日本では、1963年には流行語となった


なので、あの恐ろしい核に因んでいる。

あまり使いたくなくなった( ̄_ ̄ i)


核家族とは具体的に、

  1. 夫婦とその未婚の子女
  2. 夫婦のみ
  3. 父親または母親とその未婚の子女

のいずれかからなる家族を指す。日本では核家族世帯が60%近くを占める。

「核家族」が日本の家族の形態の中心であることは長い間変わっていない。その内訳は「夫婦のみ」が約20%、「夫婦と子」の形態が約30%、一人親家庭が約8%である

大家族に比較して、転居や住居の改造など居住に関するフレキシビリティーが高く、親類間のプライバシーが維持しやすいが、多人数で同居する大家族と比べて、親子三世代による家事労働や育児、家内労働の分担がしづらくなる。

 
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今日、ビグともさんから、三隣亡についての問合せがありました。


私は、京都出身のため、三隣亡を知りませんでした。


なので、すぐに後述のとおり、調べました。


どこから始まったか定かでないという説明で、

やはり、よく理解できない。


これを守らないと、恐ろしい災いがあると

いささか恐怖的である。


群馬や新潟では、民間でも習慣になっているようだ。

京都では、神事は、全て神道で行われ、

三隣亡を採用してなかったように思う。


神事は、大安など いい日を選べば、

幸せがという三隣亡とは、逆の考え。


何百棟の建設現場の地鎮祭などを神事を経験

しても経験がなかった。


不動産建設の仕事をしていて、三隣亡を知らない

というのは、少し自身で驚きだった。


また、折にふれては、調べてみたいと思う。




少し、勉強になりました。





【由来】

三隣亡の由来は全く不明で、いつ頃から三隣亡の慣習が始まったかは判明していないが、江戸時代に入ってから確立されたとされる。実際、三隣亡は、江戸時代よりも前の古い暦注解説書には書かれておらず、江戸時代になってから見られるようになっている。

江戸時代の本には「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていた。すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになる。これがある年に暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかとされている(ただし、真偽は不明)。後に、「三輪宝」が凶日では都合が悪いということで同音の「三隣亡」に書き改められた。

【三隣亡と建築】

三隣亡は少し前までは建築関係者の大凶日とされ、棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日とされた。その字面から、この日に建築事を行うと三軒隣まで亡ぼすとされたためである。現在でも、棟上げなど建築に関することの凶日とされ、建築関係の行為は避けられることが少なくない。高い所へ登るとけがをすると書いている暦もある。

【三隣亡の日取り】

三隣亡の日取りは24節期を元にした切きりで、次の通りである。 なお、二十四節気のうち、太陽黄経が30の倍数であるもの(春分・穀雨など)を中気、そうでないもの(清明・立夏など)を節気といい、節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。以下の節月は旧暦の月とは当然異なるものとなる。例えばここで1月と書いているのは、1月節気の立春の日から2月節気前日までを指している。太陽暦の採用されている現在でも、年毎に日取りは変わっていない。


【民俗学と三隣亡】

新潟県や群馬県の一部では三隣亡の日に土産物を貰った者は没落し、贈った方は成金になるという言い伝えがあるので三隣亡の日に贈り物を贈ることは避けるのが風習となっている。このことは、板橋作美の論文『群馬県南西部におけるオサキモチ信仰とサンリンボー信仰の社会的意味』に詳しい。