ひさしぶりに 京都の商法だ。


先日から、年始の挨拶に廻っていた時に感じたこと。

(前から感じている。)


真の京都人は、決して、本音を言わない。


突っ込んでも、やわらかい言い方で、「せやねぇ せやねぇ」と

えべっさん(恵比寿さん)みたいな笑顔で、柔らかく、はぐらかす。



その「せやねぇ」の抑揚で、 本当に 答える気があるのか

賛同しているのか、共感できないのか、

どっちでもいいのか、 読み取らないといけない。


ちゃんと、読み取らないと、心の中で

「あの人は、かみ合わへんし、

感じ悪いひとやわぁ~」と 付き合いのリストから自動抹消される。

近所にも、周りにもいう。本人には シカトする、大人気ない。

シカトがこれまた、表現だ。


本当に、面倒くさい(笑)


京都人の心に戸を立てられない。


これも、前回から、書いているように、都が長かったからだ

と思う。

(だから、現在の都である

東京でも、女性おいてに似たような状況に遭遇する。)



つまり、誰がどうなろうが、知ったことやない、

刀をもったお侍さんに斬られないように、

話をあわし、一見嫌われないようしていた生きる知恵だろうと

思う。


知り合いが、崖っぷちで 「落ちる~、HELP~」と言っていても

それを見ながら、 「せやねぇ せやねぇ」と言って傍観している

のが京都人。


この知恵が、京都の伝統であり、商法である。


長年に渡り、先祖の家を守って、今も生きている。


家をつぶしたら(潰したら)、その人は、A級戦犯だ(´□`。)


たぶん、代々、ひ孫代まで、語り継がれるだろう。


だから、京都人は よそさんのことは、どうでもいいのである。


私も、外からみて、よく分かったことである。


鹿児島出身の 京セラ 稲盛さんも最初は大変だった

と思う。

ただ、京都人は、 よそさんに 対しては、外人と

思っているので、意外に優しい。

よそさんが、来なくなったら京都の経済は終わると

感じているからである。

「ずっと付き合わんでもええしな」と声が聞こえてきそうだ(笑)


京都旅行に行く機会があれば、「せやねぇ」に触れてみては。


まだ、鎖国中の京都 またまた書きます。