ブラタモリ 浜松もおもしろかったですね😊
もちろん録画で、時間もないのでさらっとだけですが……


浜松が楽器の町になった5ステップの1
「徳川家康と天竜川の河岸段丘」

家康は29歳くらいから46歳くらいまでの壮年期を浜松で暮らしています。

家康が来たからこそ、単なる田舎町だった浜松が発展した。
小さな宿場町だったここに城を築き、浜松と名付けた……ここまでは知ってました!
付け焼き刃で😅
じゃ、何故ここに城を築いたのか?

その前に、この崖!
河岸段丘…ブラタモリでよく耳にします👂
川が流れていたんですね。

三方ヶ原のへりにいた……三方ヶ原の戦いの地ですか!

家康は天竜川が作った崖の上に城を築いていたわけですね。
天竜川の川幅凄いな!
これだけの崖を作ったのだから、水量も凄かったのでしょうね!

そして、桶狭間の戦い。
東から侵略しようとする武田信玄→家康は武田軍の動きを監視する必要があった→浜松の河岸段丘の高台に城を築いた🏯

なるほど!
そういうことでしたか。

ただ簡単な地図を見ただけではこんな崖になってるとも知らなかったし、天竜川もざっと線が引かれたものしか見てなかったし😅
実際に現場に行くって大切ですね。


ステップ2 「天竜川と綿花」

江戸時代の250年間に250回の洪水。
浜松の名産品は綿花だった。

洪水で綿花栽培は大丈夫だったのか?
洪水で残された土砂の上に盛り土をして、より高い場所で綿花栽培をしていた。

綿花が採れることから、後に楽器作りの礎となる人たちが集まった。

綿花から織物をするようになり、織機を作る職人=大工が集まって来た。

その織機を作る大工の技術を生かしてオルガンが作られた。

オルガンと織機の動きは似ている……あー、足踏みですよね。
似てるような気も………

明治20年に音楽教育のために浜松にアメリカ製のオルガンが導入→2ヶ月半で故障!
ある人物に修理の依頼。

それが山葉寅楠、ヤマハの創業者!
当時、医療機具の修理工だった山葉は、大工の協力を得てオルガンを直した。
これをきっかけに、ピアノ作りを目指した。
渡米して学んだ後、明治33年に国産初のピアノを作った。


ヤマハは綿花から……と言っても過言じゃないですね。
ただ直して終わりとならないところが人間が違う!
流石、ヤマハの創業者ですね👏

そこから、ほかの楽器やバイクに繋がっていくわけですね。
時間もないので、とりあえず家康と関係ありそうなところだけ🙇‍♀️