この数週間、事実上死文化している「不純異性交遊」について、考察する必要があると思っている。現実にツンデレの女性がいたら仄かな殺意が湧くように、創作の世界で理想的とされている人格は現実世界ではしばしば異端であり少数派で、実際目の当たりにする事は少ない。だからこそ人は希少価値を見いだし、神話的なアイコンを、二次元への旅を望んで止まないのであろう。実在とフィクションの垣根が低いか高いかの程度は年齢の影響も大きい。いい歳こいた大人がゲームと現実の区別もつかずにレイプ魔と化すなんてほとんど有り得ない話だし、秋葉原の通り魔なんていい例で、もしゲームやアニメに簡単に影響されるような人間ばっかりならあんな風に人を襲い出す様な奴ばっかりってことになるが、現実にはそんなに居ないからニュースになるわけだ。ギャルゲーの登場人物の性格は現実問題破綻していると言えるし、一部ゲームでは主人公の思考回路は倫理が完全に破壊されている。「だから18禁になっているのだ、子供がギャルゲーの登場人物の狂った性格にまで影響を受ける事が無いように。別にセックスそのものが隠すべき対象では無いのかもしれない」と考
えるほうが自然なくらい、しかし現代の10代にとって性は身近になってしまっている。否、本来生物の在り方としては生殖能力が芽生えた時点から性欲が増えてゆき、生殖行為への興味を持つのだからある意味で自然な事であると言えるのか。さらに「源氏物語や元服の儀式など我が日本国にも古くからそうした若年者のうちにイニシエイションとして性行為を行うべきという描写や儀式により生物の自然な姿を助長する文化というものが」と、ペドフィリアやロリータコンプレックス正当化論者と一部のナチュラリストと名を変えた糞ヒッピー共はまた増長したがるであろうがそうは問屋が卸さない。文化は歴史を内包するが、その時代の倫理観は変わりゆく。その時代の倫理観としてそれぞれ歴史に影響を与えただ内在したに過ぎないし、平安時代や鎌倉時代の倫理観が平成の世で通用するかといえばNOだ。何も、時代の狭間から復古主義的に過去の倫理観を掘り起こして論ずる必要はどこにも無いのだし、今は今の倫理観が存在している(と信じる)。…恐ろしいことに、現代の倫理観はメディアが握りしめてしまっているのだが。さて話は逸れたが先述の「性欲が
芽生えた時点から興味を持つのは当然」あたりまでは頷けるのだけれど、実際に性交経験をもつ子供が増えたというのはどうも時代のせいにされているようだ。

ここからが本題だ。


「安易に情報端末を持つから要らねえトラブルや不純異性交遊が増えるんじゃねえか」と繋げてくる。
なるほど一理ある。


いや、そもそもそんなに性交経験を持つ児童は増えたのか?過去の調査を精査しないとはっきりしたことは言えないが、増えたと言われている。


小学生に携帯持たせるとか世も末だとか色々言われている。確かに、学校や塾の前を観察し、携帯使って親を呼び出す小学生を見ているとまるで王様が家来を呼び出すかのような態度を取る子供が増えたように思う。

エンコーと名を変えた売春をする子供もまだ居るようだし、ネットには出会い系とかその手の情報がいまだにはびこっている。

しかし

情報端末の発達が取り沙汰される遥か以前から、家庭教育の重要性についてはずーっと言われ続けてきたことで、今時エンコーなんか持ちかける人はイの一番に不審者であり御用である。そんなリスクや場合によっては高い請求が来る携帯使わなくても電話を借りるとか公衆電話を使うとか連絡手段は山ほどある。



そこで「電話を借りる」
わけだ。子供110番の家とかに実際入る子供を見かけないのは、用事がないからだ。
人んちの電話だから、変な用事は伝えてられない。通話時間も気にしなきゃいけない。
だが、それがいい。情報は取捨選択できるし、気遣いを学べる。

「ごめんください、ちょっと電話かしてください。」という玄関先に響く声。

近所付き合いの糸口であり、きちんと子供を見守り、叱り、育てる大人が育つ環境の入り口だったのではなかろうか。


だから子供たちよ、携帯持つ前に電話を借りることを覚えなさい。