私は今、幸せである。「今」「幸せ」どちらも曖昧な表現ではあるが、この場合は、なう(2024/04/25 18:16:30)バリ美味いもの食ってる、という意味を指す。さらに具体的に申すと、パーフェクトサントリービールとセブンの二郎ラーメン(セルフヤサイアブラマシマシ)を堪能していて大変満足なのだ。
「幸せ」という言葉は曖昧すぎる言葉である。結婚式での「お幸せにー!」、父親からの「はやく良い人を見つけて幸せになりなさい」、大谷の奥様への「羨ましいわ〜、世界で1番幸せなんでしょうね〜」。
うるせえ。それってあなたの発言ですよね、テメェの物差しで幸せ語ってんじゃねえ。と、心の中の過激派ひろゆきが暴れ出す。自慢では無いが私はしばらく恋人がいない。まわりは哀れみが滲みでないよう極力明るく、「早く幸せになれるといいね♪」と言う。違う、私は今とても幸せなのだ。こうして自宅で扁桃腺付近からゴキュゴキュ音を立てビールを飲み、レトルトの豚の角煮とSEIYUの28円のもやしでセブンの二郎ラーメンをヤサイアブラマシマシにして食べる以上の幸せがあるだろうか。
話は変わるが、私はとてもサウナが好きだ。理由はとてもシンプルで、三途の川お試し体験が出来るからである。これはかなり主観的な考えだが、昨今のサウナブームで世間一般的に使われている「ととのう」という言葉は一度死にかけることを表す。稀にサウナで血圧が急上昇・急降下し死に至ったという悲しいニュースを目にする時がある。実際、サウナによる死亡事故と交通事故で死に至る確率はほぼ同等である。推測だが彼らは「サウナを信じすぎたが故にととのいすぎてしまった」のだろう。私も毎回サウナでととのいを体験する度に、「生きててよかった」と「快楽の中で今このまま死んでしまいたい」、「今死んだらもうサウナに入れないからもう少しだけ生きていよう」がせめぎあいをしているうちにガンギマリしてしまう。とても不謹慎なことを言ってしまうなら、私もサウナ室の中で一生を終えたい。もっと贅沢なことを言うならば、来世はサウナ室で人生スタートさせたい。サウナは私に幸せをくれる。サウナはいつでも裏切らないし。
話がだいぶ逸れてしまったが、私は疲れた体にビールを流し込み自宅で二郎を食べて適度にサウナで生死をさまよう、こうして毎日精一杯何かにすがりついて生きてる理由を探していることこそが幸せなのだ。私は「1人」だけれども「独り」では無い。
「幸せ」は人それぞれであることはもちろん、他人に自分の幸せを押し付けてはいけない。生きてることで幸せを感じられる、生きてなければ独自の幸せを見つけられないのだから。毎日嫌なこともめんどくさいことも多いが、更なる幸せを見つけるために生きていようかな。
Don’t know what I want,
but I know how to get it.
I wanna destroy passersby.
__なにを求めてるのかはわからないが、手にする方法なら知っている。道行く奴らをぶっ潰したい。
(Anarchy in the UK/Sex Pistols )
