なんだこのタイトルは。自分でもセンスのNASAにがっかりする。

 

今日は死について書きたい。暗い話にはしたくなかったが、結果どうしても暗くなってしまったのでこんな馬鹿げたタイトルで正解だったかもしれない。

 

先日、独居の祖母が脳梗塞で倒れ病院に救急搬送された。その日は母の日で食事会の約束をしていたらしいのだが時間に厳しいはずの祖母が待ち合わせに遅れ、連絡もつかなかったことから祖母宅へ向かったところ倒れていたという。また、家の中はそれはもう見るに堪えない「孤独死」を連想させる光景が広がっていたそう。推測に過ぎないが、郵便受けに溜まっていた朝刊の日付から倒れてから4日が経過していたという。従来、4日も経過していたなら命は助からないと思うのが普通だろう。しかし奇跡的に搬送時、呼吸は確認しており大型連休にもかかわらず搬送先の病院で迅速にあらゆる検査をしてくださり原因は脳梗塞による脳出血であるということが発覚した。

 

「今晩が山場です。」

ドラマでしか聞かない医師のセリフ。まるで他人のことを言われているかのような気分。悲しみや驚きの感情は湧かなかった。祖母の検査が終わった頃に連絡を聞いて病院に駆けつけたわたしは、その日は祖母の面会は叶わず、一旦憔悴しきった母親と実家に帰った。

そして、今日まで良くも悪くも祖母の容態は変わらず、現在の急性期病院から転院する療養病院を探している最中である。わたしはいまだ状況を理解できずにいるため、今後のもしもの話をされても「喪服買ったときより太ってしまったけど、ちゃんと入るかな」などど逆に超無神経なことを考えている。

 

搬送後、祖母が一人で住んでいた世田谷のマンションを親戚一同で掃除をした。専門の業者を頼むレベルの汚さではあったがその場にいた親戚全員のショックな気持ちもしくは今までほったらかしにしていたという自責の念からか、誰もそのような提案はしなかった。祖母の趣味であると思われる、花柄のカーペットやカーテン、祖母の自作と思われる掛け軸に丁寧に保管されている習字や俳句、一見色彩豊かで手入れがなされているようにも思えた。しかし細部まで見るとヘドロの溜まった排水溝、体液の染みついたベッドシーツ、ベランダいっぱいの枯れた花や観葉植物、ダイニングテーブルに広がった漢方の包み。祖母の寂しさごと綺麗にした掃除後の部屋は、祖母の面影をまったく感じさせない部屋となってしまいそれはそれで少し寂しかった。

 

祖母は変わり者なことに加えデリカシーという言葉を知らないようなタイプであったため、友人・親族からも少し距離を置かれていたようだ。祖父が16年前に亡くなってから祖母は完全に「独り」になってしまった。わたしも時にいらつくこともあったが、誰よりも愛情深くて涙もろく時に言動から寂しさがにじみ出てしまう、社会人になってからの私の体調を心配するメールを送ってくれたり弊社の商品を購入し感想を述べてくれたりする、そんな祖母を完全に嫌いにはなれなかった。今回の件も祖母がもっと親戚・友人とこまめに連絡を取る人間だったら倒れてからの発見が早かったかも、などど今となってはタラレバの世界だが。

 

もしかしたら祖母はもう目を覚まさないかもしれない。なんならその可能性の方が確率的には高いらしい。今、私たち親族は各各が己を責めている。誰も悪くないと言えばそうなのだが、自分を責めないとこの状況を受け入れて次に進むことができないからだ。しかし、毎日誰かがお見舞いに行き目を閉じたままの祖母の手を握りそれぞれの言葉を贈る今、祖母はようやく寂しさから解放されたのかもしれない。

 

「孤独死」という表現はあまりにも残酷で寂しいイメージを与えかねないが、今回の件で独居で私たちには吐露しなかった寂しさを私たちは感じ取ることができ、意識は無いままだが祖母ともう一度繋がることができたのでは無いだろうか。綺麗事を言っているのかもしれない。それでもこのブログを読んでいる大切な人を失って自責の念に駆られている誰かの支えになれればと思い、今回このような馬鹿げたタイトルで暗い話をしてみた。

 

最後に。口酸っぱく「はやくひ孫の顔を見せろ」と言っていたおばあちゃん。今までずっと聞こえていないフリをしていたけど、この度マッチングアプリを始めたよ。もう手遅れかもしれないけど、おばあちゃんを安心させられるよう誠実な男性を見つけてひ孫を見せられるよう頑張ります。そして、私はおばあちゃんのように愛情深い女性になれるよう精進します。世田谷に遊びに行ったり劇団四季を見に行く約束を果たせなかったり、たくさんメールしてあげられなくてごめんね。おばあちゃん、早く目を覚ましてママの大好物のチーズケーキの作り方教えてよ。待ってるからね。